一年以上ぶりの投稿になりました。
おひさしぶりです。
その間に、また新たな戦争が始まってしまいました。
イスラ・エル(Ysra-el)という言葉は、イスラエル12族の族祖ヤコブに授けられた名前で「神と闘う人」という意味があるそうです。
わたしは、ある場所のお祭りに出る直前に胆嚢炎で救急搬送されて、身体から外れる体験をしました。
連休明けに神事があるから、薬をもらっておこうと這っていった近所のクリニックの先生が真っ青になって救急車を呼びました。
その途中、わたしが運ばれている救急車の外で、前を走る車が道を譲ってくれているのがみえたのでした。
救急病院に搬送されましたが、「帰ったら死にますよ」という言葉を背に「神事があるから」と無理やり退院して出かけた先は出雲。
佐太神社の神去祭の日、わたしが一番伝えたくて、そして聞きたいことばは、「I love you」だと思ったのでした。
そしてそれは今もかわりません。
わたしの、I love you の youは、たったひとりしか、いません。
それは、目の前にいる、あなた。
でも、わたしは、知っています。
あなた、は、わたし、であり、
わたし、は、すべてとひとつ、である、と。
だからあなたは、たったひとりで、この地球上の、すべて。
わたしには、木々も、鳥も、風も、空も、星も、人も、同じ重みでそこにあります。
意識を向ける先が、大きくみえる。
でも、それは「みえる」だけ。
そう思いながら、目の前の人と交流しています。
わたしはどうも相手の人とは同じ価値観を共有していないみたいだ、って気づいて
皆の信じる世界の調和を壊しちゃいけないって、静かにしてたのですが、もういいかな。
だって、皆が信じて作り上げてきた世界は、ちっとも素敵じゃない。
そして、生み出した人たち自身が、「うんざり」しているみたい。
闇の勢力などのいろんな敵が、自分を脅かすといつも戦い続けていて。
自分に関わりのある人だけを大事にする裏側にある、他者への無関心。
政治も、経済も、社会も、家庭も。
自分と、それ以外、という分離意識。
それこそが、この世の争いのたったひとつの原因。
わたしたちは、もっとリラックスしていいと思います。
I love youを伝えるために、仕事をして、旅をしている。
ずっと、もっと上を目指すように、と鞭うたれて、自分自身が自分に鞭うって生きてきたわたしが、89年にドイツにいったとき、ホストファミリーに生まれて初めてありのままを認めてもらう体験をしました。
そのとき、わたしは気づいたのです。
人はどんな自分であってもそのままを認めて欲しいって思ってる。
そのときに、取り戻したわたしの力が今のわたしの源です。
生きててよかった、と思ってもらえるような瞬間を共有したい。
今までも、これからも。
今、わたしがあなたに、伝えたいのは、I love you.