今回は少しいつもと趣向を変えて、わたし自身のライフワークと近況について書きたいと思います。
同じ考えややり方を共有するのをよしとする日本では少々窮屈に感じていたことが原因のひとつかもしれませんが、わたしは海外を旅するのが好きで、今までに40か国以上を旅してきました。
今回しばらくぶりの海外の旅先に選んだのは、昔から興味があったけれど行ったことがなかったエチオピアでした。
コーヒーセレモニーといって日本の茶道のように形がきまっているコーヒーのたて方で、お香を焚いてコーヒーをサービスしたりもします。
以前知人が駐在員として住んでいたことがありその文化を聞いていたこともあって、機会があれば行ってみたいと思っていましたが、ついにその日がおとずれました。
エチオピアは、一億一千四百万人ほどの国でちょうど日本と同じくらいの人口を抱えていますが、アフリカ最古の独立国でもあり、世界最古の独立国のひとつでもある国です。
そんなエチオピアにふらっと出かけてみたのは、9月。
9月はエチオピアの暦で新年で、かつその日はキリスト教の十字架のおまつり(マスカル祭)で、世界中からのその火のセレモニーをひとめみようと多くの人たちが集まる日でした。
街でもそれぞれの町の小道にセレモニーのやぐらが組まれ人がその伝統を大事にしているのをみて、日本人ととても近い感覚を持っているのだと感じました。
日本からは遠く離れたアフリカで、太鼓をたたきながら練り歩く人たちをみて、お神輿が通っていくような感じがしたり、日本の文化と同じものもかんじました。
日本の神道は、外国からきた、という話もありますが、こんな風景に遭遇すると、少なくとも、日本とエチオピアは無関係ではない、と思えます。
そして思うのです、文化が遠くアフリカから日本に来た(もしくはその逆も)としたなら、わたしたちもまたそろそろ逆の旅路を戻っていいのかもしれません。
わたし自身も幼少期から周りとの隔たりを感じ、得も言われぬ孤独と共に生きてきたひとりです。
ですのでわたしの魂の奥深くにある、「わかりあいたい」という思いが、遠いまだ見ぬ世界に惹かれる理由なのかもしれないと思うのです。
もし、あなたが今いる場所に孤独を感じていたなら、世界に居場所を求めるのもひとつのあり方かもしれません。
「置かれた場所で咲きなさい」という本がはやりその境遇に適応していくことが大事だという考えもありますが、わたしたち人間には足があり、居場所を選ぶ自由があります。
違う、と思ったら移動していいのです。
世界は広い。
あなたの居場所の可能性を広げてみてほしいと思うのです。