おまえの「ネガティブ」な話なんか聞きたくない!
人前では「希望」を語れ!
こんなセリフを言う人が、私はあまり好きではない。
そもそも、伝える側も受けとる側も、「希望」の意味をどのようにとらえているのだろうか。
◎能天気に夢物語を語る人。
◎自分の成功体験や自慢話をするために、過去のネガティブな話をつまみにする人。
そんな情緒的にシラフではない人が話す「希望のメッセージ」は、ただの「エゴイズム」だ。
私はカウンセラーの立場だが、今だってしんどい時はしんどい!
だからこそ、今の自分の「弱さ」や「苦しみ」と向き合って、自分自身で対処する責任を果たしながら、周りの人たちと共存できるように努める。
(その責任の果たし方・やり方をシェアするためにカウンセラーも続けている)
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ただ一つ、今も辛いと感じる私が、確信をもって語れることがある。
それは、『昔と今の苦しさの実感には雲泥の差』があることだ。
苦楽がある人間社会で、無責任に「楽」な部分だけを語ることは、私にはできない。
末法末世※と言われる時代に生きる私たち…
※時代がくだり、仏教が衰え、道徳が乱れた末の世のこと。(三省堂「新明解四字熟語辞典」より)
各人各様で感じ方はあるけれど、もしかしたら、皆が『どん底』という同じ領域で生きているのかもしれない。
同じどん底にいながらにして、なぜ、各人各様の感じ方があるのか。
それは、その人自身の「生きる力と姿勢」の違いに他ならない。
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同じどん底にいたとしても…
①下を向き続けることしかできない孤立した自分。
②上を向いて、陽射しも感じられて、周りの友に感謝して励まし合いながら、天から降りるロープを見つけてしっかりと捕まり、上り続けることができる自分。
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この①と②の差だけである。
皆が、同じ「どん底」の領域にいる。
皆が、「恐れ」をひた隠しにしている。
皆が、自分たちだけ優遇されたい…そんな「弱い心」をもっている。
一人一人がそんな性質を持った人間であっても、①と②の状態の差はあまりに大きい。
さらに言えば、周りの友と協力するどころか、他者のロープを切ったり奪ってでも上ろうとする人には…
生涯、天からの陽射しを感じられることはないだろう。
(現代社会では一見②に見えるが、人間的には①の状態に過ぎないからだ)
人生はどんな時も苦楽がある。
過去の武勇伝を語りながら、肝心な今の自分の「弱さ」や「苦しさ」に目を背け続けている人。
そんな人が伝える「希望のメッセージ」は、片手落ちだ。
わたしたちは、今を生きているのだから。
今日一日。