ここではあえて、分かりやすく回答します。
人は何に罰せられるのか?
それは自分の欠点です。
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【苦しみとは】
苦しみとは、「永遠に満足できない欲求」から生じます。
その欲求が適度にならない限り、恐れもイライラも永遠に続き、自分の心の平安は訪れないでしよう。
とはいえ、自分に非がないのに起こる「不幸な出来ごと」もたくさんあります。
そのような時には、決して自分の欠点を考えたり、自分を責める必要はありません。
まずは健全な手段で、自分自身をとことん癒してあげましよう。
そして、信頼できる人に相談して、自分の苦しい気持ちを話してほしいと願います。
しかし、ある程度、時が過ぎたら、やはり「不幸な出来ごと」に対して、自分がどのように振る舞って生きるかが焦点になっていきます。
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【運命に立ち向かう祈りの続き】
以前、「祈り方」のコラムの中で、「運命に立ち向かう祈り」について述べました。
○結果を委ねられているかどうかが大切なポイント。
○その人が、「乗りこえるべき"理不尽な"道」が来てしまう。
○人生には、「避けては通れない凸凹道」がある。
○それならば、「自分の理想通りになりますように」と祈るのではなく、「自分や相手がベストを尽くせますように」と祈る。
○結果が思い通りであろうがなかろうが、その人が「起きた出来ごと」を受け止めて、「乗りこえられる力」「たくましさ」が発揮できるように祈る。
以上のような内容を述べてきました。
※https://bottlevoice.net/p/512/%E7(コラム/祈り方)
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【運命に立ち向かう生き方】
さらにもう少し話を進めると…
『あれもこれも欲しいものが手に入りますように』
と祈って生活する者。
『今もっているもので満足できますように』
と祈って、自分の心をメンテナンスしながら行動していく者。
果たして、どちらの人がより良い人生を送れるでしようか。
私は結局のところ、後者以外、人生をより良くする方法はないと考えています。
(ドラえもんでも実在するならお願いしたいですけどね〜)
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【神は悪党にすら罰を与えないのか?】
誤解のないように追記しますが、私はただ「悪党や罪人を赦せ!」なんて、ダサい説法をたれるつもりは微塵もありません。
私自身だって、過去に集団暴行を受けた被害者です。
詐欺にあったこともあります。
しかし、私がそういった不幸な出来ごとにとらわれたまま、今を生きられない人間だとしたら…
果たして、私に「カウンセラーの需要」があるでしようか。
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ここで伝えたいことは、どんな人でも、「自分の欠点に罰せられる」という一つの考え方です。
もしも、人は神に罰せられるのではなくて、自分の欠点によって罰せられるとしたら…
自分が必要以上にやり返さなくても、「恨みを抱く相手」は遅かれ早かれ、「その人自身の欠点」によって泣きを見るということです。
悪党自身が、不幸な出来ごとを生み出して苦しみ、いつの日か悔い改める日が訪れます。
私はそう考えています。
だからこそ、私は“変えられないもの”に対しては、自分に“受けいれる落ち着きを求めます。
そして、自分で“変えられるもの”に対しては、“変えていく勇気”を求めます。
これからも私は、自他ともに平安を祈って、自分の内面のメンテナンスをしながら行動していきたい。
そういう生き方ができる人であり続けたいです。
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【最後に】
だれもが皆、過去の自分の生き方を否定する必要はありません。
人から何と言われようが、その時の自分なりに精一杯生きてきた道のりなわけですから。
しかしながら、自分の中にあるトラウマ、「古い思考と行動への恐れ」に主導権を握られ続けている人生では、なかなか光には照らされません。
『新しい生き方を望む強い気持ちと行動』こそが、自分自身を平安にしていくのです。
そのような姿勢で生きる、今日一日の積み重ねによって、怒りや恐れ・後悔などの苦しみが、生きる喜びや受容・寛容、励みに変換されていきます。
その結果、自分自身をより良い人生へと突き動かしてくれるのです。
※参考文献:ビル·P トッド·W サラ·S(2014)『ドロップ ザ ロック』
一般社団法人セレニティ·プログラム(依存症からの回復研究会 翻訳チーム)