「わたしたちは、水でできている」
そんな表現をきっと、どこかでお聞きになったことがあるでしょう。
わたしたちの身体の60~70パーセントが水だといわれています。
残りが骨格や筋組織など。
解剖学的には、個体差はほとんどなく、
物質としては、100%といっていいほど、わたしたちは皆、同じです。
なのに、わたしたちの目にうつる他の人たちは、まったく違うようにみえます。
肌の色、芸術性、能力、仕事の成功……
「あの人と、自分は違う」
その差異は、優越感であっても劣等感であっても、
はっきりとわたしと他人との隔たりを大きくみせ、区別します。
それこそが、水の性質なのかもしれません。
摩周湖の水と、渋谷川の水が同じものだとは思えませんが、同じ水だし、
空に浮かぶ雲も、クジラを育む大洋も、同じ水でできています。
とても同じには見えないけれど、そのすべては確かに水で、
それらの水は、この世界のどこかにいつも同じだけ存在し、
ずっと同じ分量だけ保たれています。
どこかで干ばつがあっても、どこかの上空には雲として蓄えられており、
またあるときは、どこかの河川を大きく広げ、肥沃な土を運んでいるかもしれないし、
シロクマが氷が融けて困っているときも、氷は姿を変え、
砂漠の街に恵みの雨をもたらしているかもしれません。
世界に同じだけ存在し、増えも減りもしないのに、
これほどまでにわたしたちの前に、これだけ姿を変えてあらわれる水は、
本当に不思議な物質だなぁと思います。
人間は水でできていますが、
川や海と違うのは、「意思を持っている」ということです。
好きな形に姿を変え、どのようにもなれるということのような気がします。
大きな氷像をつくることもできるし、
海のように人を癒すこともできるし、
嵐のように激しさを表現することもあるでしょう。
そうして刻々とあらゆるものに姿を変え、
「その瞬間」を楽しんでいるのです。
氷はとけてなくなりますが、この世界から消えるわけではありません。
きっとわたしたちも同じです。
わたしたちも、また新しいいのちへと形を結び、
また新しい体験をするでしょう。
いまあなたが、誰かのことが気になっているとしても、
やっぱりあの人も水なのです。
すごい憧れの人であったとしても、
大嫌いな人であったとしても。
水が、意思をもって、氷像を創っているようなものなのです。
絶世の美女の氷像なのか、身も凍るような悪魔の像なのかの違いなだけで。
人間関係に悩んでも、怖がることはまったくありません。
お互いに、所詮は水なのですから。
「ワンネス」、つまり、「わたしたちはひとつ」ということを理解するとき、
このイメージはとても役立ちます。
わたしたちが、水である、ということを思いだすこと。
それが相手を光の存在だと思いだすことであり、
本当の姿をみる、ということなのです。