どんなに気をつけているつもりでいても、
理不尽なことを言われることはあるし、
嫌な態度をとられるときもあるような気がします。
そんなとき、わたしは「自分のなにが悪かったのだろう」とクヨクヨ悩むよりも、
「悟らせ人があらわれた」
と思うようにしています。
わたしを悟らせてくれる人、という意味です。
悟れるかどうかはわたし次第なのですが(笑)。
自分では気づいていない、「理由」があるのでしょうが、
それは、たいていの場合、あとになったらわかること。
多くの場合は、「理由」を模索するフリをして、
現実を否認し、受け入れるタイミングを後回ししているだけのような気がします。
わたしたちは、目の前に起こることを避けることはできません。
地震も、
病気も、
失業も、
人を好きになることも、
ありとあらゆる「起きたこと」は変えることができないし、
「受け入れない」という選択はできないのです。
わたしたちは、起きたことは起きたこととして水に流して、
今なにをするか、これからのために何ができるか
そのことに意識を集中していくしかありません。
起きたことの原因をさぐることで、次に同じ事態を回避できるかもしれませんが、
同じ事態が起きるとは限らないし、また新しい状況が起きるかもしれません。
わたしたちは、「まっさらな」今を生きています。
一瞬一瞬が、新しいページです。
たまには、ある時間のできごとをもう一度読み直したいときがあるかもしれません。
でも、それは自分のための「楽しみ」でありたいと思います。
そうしていつもまっさらな1ページを
1枚ずつ大切に、めくっていきたいと思うのです。