親子というのは、不思議な関係だと思います。
お子さんのひきこもりに悩んでいらっしゃる方も、
お母さんの過干渉に悩んでいらっしゃる方も、
お父さんの威圧的な態度に悩んでいらっしゃる方も、
お子さんの家庭内暴力に悩んでいらっしゃる方も、
親子関係の悩みの本質は、
「わかりあいたいという気持ち」
だからです。
ひきこもりの原因は、親の過干渉だと教えてくれた友人がいましたが、
「ひきこもり」自体が悩みになりうるかどうかは別の問題です。
「ひきこもり」であっても、
お子さんが成人していても親に経済的に余裕があれば、面倒をみてあげればいいわけですし、
未成年だったり、余裕がなければ施設や福祉の力を借りれれば、
悩みや問題にはなりません。
また、親との関係であっても、
過干渉がうっとおしいと思ったら自立して家を出ればいいわけですし、
怖いと思ったら、逃げ出せばいいのです。
実際に、家出同然に出る人もいますし、
結婚などの理解されやすい形をとってやんわりと距離を置く人もいます。
つきあうのがストレスに感じる他人と対するのと同じように、
自分をうまく守ってあげればいいだけです。
つまり、「ドライな人」「冷たい人」、もしくは「余裕のない人」だと
親がどんなに悲しもうが、自分のしたいようにするので悩みませんし、
子どもが苦労しようが、自分の生活が精一杯で助けてあげることもできません。
できないことは、「悩めない」のです。
いつもお話を聞いていて思うのは、悩みにしてしまう人は、
「親だから、わかってほしい」
「大切な子どもだからこそ、苦労してほしくない」
という「情の深い人」なのだなぁということです。
昔は、「情の深さ」は罪悪だとすら思っていたドライなわたしですが、
今は日本人のよさでもあると思っています。
苦しいのに「親子だから」離れられないと苦しむ必要はないですが、
「情の深い自分」を責める必要もないし、
「わかりあいたい」という執着をどうにかしなければと思う必要もない気がします。
わたしは親とも、子どもとも距離がありますが、
それでも、行き違いで淋しい思いをすることがありますし、
相手もそうなのかもしれないなと思うことがたくさんあります。
そんなとき、わたしはいつも、
「わかってほしいと思っている自分」をかんじてみて
おもしろがります。
そして「元気?」とメールをしたり、プレゼントを贈ったりします。
自分の思い通りに、相手にわかってもらうことはできなくても、
自分が「わかってほしい」と思う気持ちに気づいて、
なにかをすることは、自分自身の意思で簡単にできるのです。