ワインの話を聞く機会がありました。
古いブドウの木のことをフランス語でVieille Vignes(ヴィエイユ・ヴィーニュ)といいます。
英語でいうとOld Vineですね。
また、ワイン作り4000年の歴史のあるイタリアでも、
Vecchie Vigne (ヴェッキエ・ヴィーニェ)と呼ばれることから、
V.V.と書かれていることもあります。
フランスでは20年くらいのものから古樹ワインと呼ばれることもありますし、
本来はもっと古いぶどうの樹からとれるワインをV.V.と呼ぶようです。
古樹というと、ワインを知らないわたしには、
なんとなく樹が古くて元気がなさそうなイメージでしたが、
実は古樹ワインであるかどうかは、良質なワインを見分けるひとつの指標なのだそうです。
若いぶどうの樹は、成長することにエネルギーを使い、枝葉をのばし、必要ない蔓までのばしたりと、
とにかく元気が余っていて、ムダなことをたくさんするので、
収穫できる果実の完成度はまだまだ低いのだそうです。
それが、だんだん成熟してくると、エネルギーの配分がわかるのか、
ムダに枝葉をのばしたりすることがなくなり、
じっくり果実を結ぶことに集中できるようになってくるのです。
ですから、50年、70年と古い樹齢であればあるほど、味わい深い果実ができ、
それによっていいワインを創ることができる、というわけなのでしょう。
人間も、若いころに無茶なことをやりきった人ほど、
歳を重ねると深みを増したりするものですので、同じことなのかもしれません。
「いい人生」を生きるためには、ぶどうの樹が若いうちには
葉や蔓をのばしたのちに自然に実を結ぶことに集中しはじめるように、
直接的には役にたたないような、人生の回り道を
とことんやりきってしまう必要があるのかもしれません。
そうすれば自然に本来の目的に導かれていく気がするのです。
聖書には、神は農夫、イエスさまはぶどうの樹、そしてわたしたちはその枝である(※)
と示されています。
枝の役割は実を結ぶことです。
それは神という農夫の働きによって自然になされます。
わたしたちは実を結ぶことが役割ですが、ぶどうの若い樹がそうであるように、
蔓や葉を茂らせて「自分」を主張することもまたゆるされているのです。
よくなりたい自分、
目立ちたい自分、
そんながんばる自分、つまりエゴの自分を自然に手放せたときこそ、
実を結ぶ準備が整うときなのかもしれません。
ぶどうの樹の枝に優劣はありません。
がんばって「人よりすぐれた自分」になったとしても、
他の枝より蔓や葉が立派な枝にすぎないのであって、
実を結ぶという本来の目的とは関係のないものです。
ゆっくりとぶどうの樹の一部である自分を感じながら、
そして神という農夫の豊かな愛に育まれておいしい実を結んでいけたらと思います。
(※)
ヨハネによる福音書
15章1節「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」
15章5節「 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」