「パートナーが反対することが怖くて、友だちと出かけることができない」
そんなご相談を受ける機会がありました。
「パートナーに束縛されていると感じる」という悩みは、
「パートナーにすがりついてしまう」というものと並んで
恋愛や結婚についての悩みでもっとも多いご相談のひとつです。
両者は逆に見えますが、根底に流れている感情のキーワードは「依存」で、同じものです。
「夫がいい顔をしないので、週末は家で時間が過ぎるのを待っている」とか、
「誰と出かけるんだ」とか「ご飯はどうなるのか」などと
いちいちうるさく言われるので出かけられないとか、
「わたしとの時間を友人との時間より優先してほしい」など直接的に反対されるなどなど。
期間は、つきあってすぐ問題になる場合もあるし、
人によっては結婚以来30年以上、という方もいます。
ケースはさまざまですが、この状況にはまり込んでしまう方の共通点は、
「自分の気持ちより相手の気持ちを優先してしまう」ことのようです。
「相手の気持ちを考えすぎて自分の行動を制限してしまう」というのは、
「共依存」やその形態のひとつである「恋愛依存症(と呼ばれるもの)」の典型的なケースなので、
たいていの場合、ご本人が本を読んだり調べたりされていて、
「こんな状況じゃダメだ、(自分が)自立しなければ」もしくは
「(パートナーを)自立させなくては」と思って相談にこられます。
ですが、わたしがお話を聞いていてはっきりと感じるのは
「この方の魂はそれを望んでいる」
ということです。
例えば、「オレがいるときには家にいてほしい」という男性に惹かれる人は、
長女で、お母さまも育児に余裕がなかったのだなぁと思われる方や、
厳しい家庭環境で寂しい思いを経験された方が多いのですが、
その方とお話していると、魂は「一緒にいたい」「関心を向けてほしい」といっています。
つまり、「自立しよう」「自立させなければ」と理性では思っていたとしても、
過去の傷ついた(と感じている)自分がしてほしかったこと(注目やケア)を今やっているだけなので、
心の深い部分では、それが実現してパートナーが自立して離れていくことや、
自分がパートナーを置いて出て行くことを
やっぱり望んでいないのです。
この段階で自立を目指しても、結局は「子どものころ愛されたかった自分」はそのままなので、いずれまた同じタイプの人を好きになったり
「いっそひとりのほうがまし」といった極端な考えに走ったりしてしまいます。
パートナーのわがままを聞いて「束縛されてあげる」のは、
昔、自分がしてほしかったことを相手にしてあげているのだなぁと
お話を聞いていて思うのです。
わたし自身も母が生活を支えてくれていたので、
学校でわたしの具合が悪くなっても、
迎えにきてもらえたり、自分の行きたい場所に連れていってもらえるということは、ほとんどありませんでした。
ですから「すがりつかれる」「すがりつく」という
共依存的な恋愛の典型的な苦しいパターンにはまりこんだり、
かと思えば、ある時期にはひとりで海外放浪に出るなど、ひとりでいることを積極的に選んだり、
看病は自分にも人にも不要といった、過度な自立に向かってしまうこともありました。
ですが今は、「苦しかったけれど、あれは必要だったのだなぁ」と思います。
「身近な人から関心を向けられている」という体験がしたかったと気づいたからです。
もちろん、「依存する」「依存される」という関係は、
(好きでやっていると自覚できている場合を除いては)苦しくて不満が多いものですので、
たいていの場合はうまくいきません。
ですが、魂の声を無視して、目の前にある「ダメな恋愛」を回避しても、
待っているのは同じ結果です。
わたしたちは結局、自分でやめたいと思わないかぎり、
どんなに自分を苦しめるクセであったとしても、やめることはできないものなのでしょう。
起こることには、いいことも、悪いこともありません。
意味をもたせるのは、いつも「今」の自分です。
今の苦しい関係から逃げ出したくなったり、嘆きたくなったら、
あなた自身の「本当の望み」に目を向けてみてくださいね。