ヒーリングを仕事にしている方から
「ネガティブな影響を受けやすい」というご相談をよくいただきます。
自然界はバランスで成り立っていますので、
濃い砂糖水と、薄い砂糖水を同じ量ずつ足せば、
濃い砂糖水より薄まり、薄い砂糖水より濃い濃度のものに変化します。
圧力も、
温度も、
色も、
光も、
「すべてのエネルギーは、形は変わっても、エネルギーの総和は変化しない」という
エネルギー保存の法則にのっとって、バランスを保っていると考えられています。
ですから、「ネガティブな影響を受けやすい」というヒーラーさんは、
不調を訴えてくるクライアントさんと一緒にいると、
「もらう」とか、
「ひっぱられる」のがあたりまえと考えているようです。
でも本当にそうなのでしょうか。
あるときふと疑問に思ったのです。
「もらう」ということは、相手を「対等」の存在だと思っていない
ということではないのかなと。
『A Course in Miracles (奇跡のコース)』では、繰り返し、
「分離は幻想」と教えます。
つまり、「他者」は存在しない、ということです。
相手は、自分と同じ。
自分と、相手も同じ。
「ワンネス」という言葉が知られるようになりましたが、わたしたちはたったひとつのいのち(意識)をシェアして生きています。
だとしたら、相手の「ネガティブ」に引きずられる、ということはないはずです。
自分自身のネガティブな状態を、
相手に投影してしまうことはあったとしても。
そう気づいたとき、ようやく、
相手を「癒そう」とする必要はまったくなく、
自分自身が「癒された」状態でいさえすれば、
相手は自然と「癒される」のだと知りました。
それからは、わたしは、相手がどんなに苦しみの渦中にいたとしても、
「なんとかしよう」とはしないで、
乗り越えられるからこそ受け取ることができた大いなる試練を祝福して
見守れるようになりました。
「癒さなければならない」ように見えることこそが幻想なのです。
真実は「体験している」ということだけだからです。
怒り、
悲しみ、
恨み、
苦しみ、
痛み……
あらゆる「ネガティブな」感情を引き起こす事象も、
喜び、
楽しみ、
希望……
ありとあらゆる「ポジティブな」感情を引き起こす事象も、
ひとつの体験にすぎません。
「ポジティブ」とか「ネガティブ」と判断しているのは、
わたしたちの「思い込み」であって、エゴの幻想にすぎないからです。
自分の人生がどん底と感じているときには、
過去のあらゆる体験が、自分の不幸の原因のように見えますし、
人生順風満帆で幸せだと感じているときには、
同じできごとも「あのことがあってこそ」と、たからものに思えることでしょう。
ですから、「ネガティブ」な感情に見舞われているといっても、
「ポジティブ」な感情に包まれているのと、体験としてはなんら変わらないわけです。
わたしは、「ネガティブ」な感情を感じているお客様をみても、
その体験を心から祝福できるようになりました。
たとえば、わたしにとっては、地球というカラオケボックスで、
今、悲恋の歌を歌う友人からマイクを取り上げて、
アップテンポのポップスを歌わせようとするやり方から、
ともに寄り添い、苦しみを一緒に感じてみる、という体験となったのです。
相手を「癒そう」としていたとき、
わたしは、「苦しみ」をみていました。
それは、わたしの中にある、「苦しみ」に対する恐れの投影だったと今は思います。
「苦しみ」もまた、選択のひとつであるという、
苦しみの本質を理解していなかったために、
相手の苦しみを恐れ、「解決しなければ」と思っていたのです。
ブラックホールを光で照らそうとがんばることと似ています。
疲れるのはあたりまえです。
相手が自分の思いの投影であることを忘れているとき、
わたしたちは、みごとに相手から「もらって」しまいます。
相手と自分が違うときには、「エネルギー保存の法則」が適用されてしまうからです。
ですが、苦しみも、悲しみも、すばらしい体験のひとつ。
自分の心の中から恐れをとりのぞき、ニュートラルな気持ちで相手に向き合えるようになれば
苦しみや悲しみを体験している人であっても、
「対等な存在」だから、やさしい気持ちで見守れるようになり、
「ネガティブな影響を受けてしまう」ということはなくなるでしょう。
ブラックホールには、光の世界の中にある漆黒の美しさが存在する
わたしはそう思っています。
「癒そう」とする必要はまったくありません。
癒しは、その人がその体験を必要としなくなったときにだけ、自然に訪れるからです。
セラピストのわたしたちは、ただ、信じればいいのです。
その体験を選んだその人の、神聖さ、そしてかぎりない強さを。
どんな人も大いなる力に守られています。
ただ、わたしたちは思いだす手助けをするだけです。
わたしたち自身の、体験を通して。