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結婚について〜聖なる関係と特別な関係
2022/04/07 生活

今、わたしの周りは結婚ラッシュです。

恋愛の相談をくださっていた方から、「結婚することになりました」という報告を聞くのは、とてもうれしいものです。

ですが、今のわたしは「結婚するべきだ」とも「結婚しないほうがいい」とも思っていません。


私自身は「結婚は必要ない」と思って、離婚や事実婚を選んだ時期もあるし、
「結婚したほうがいい」と思っていた時期も体験して、

今は「結婚は、体験のひとつの選択」という感じです。


ただ、ご相談を通して、また自分自身の体験を通して、
結婚生活がうまくいく考え方みたいなものが少し見えてきた気がしますので、
今日はそのことをお話ししたいと思います。


わたしがいろんなご夫婦のお話を聞いていて感じるのは、
「結婚は新しい価値観を招き入れること」なんだなぁというものです。


「価値観があう人と結婚したい」
多くの人がそう思っています。


わたしもその一人で、価値観があわないからと深刻に悩み、
別れを選んだこともありました。


でも、実は「自分とは違う」と感じる相手を結婚相手に選んでいる方が、圧倒的に多いのです。

おそらく「価値観が一致する」という相手を選んでいる人は実際にはほとんどいません。
そして面白いことにみんな、「つきあいはじめた当初は気があうと思っていた」といいます。


なのに、それぞれのタイミングで、「違う」と感じ、愛が冷める体験があるようです。


結婚前に違うと感じると別れることになりますし、
結婚後に違うと感じるようになると、そこから離婚に発展するか、
あともうひとつは、「真実の結婚」とわたしが呼んでいる状態に向かうことになります。


当初の「この人は他の人と違う」というラブラブな感覚は、
いずれ冷めるのです。


「この人は特別」という感覚を心理学では「投影」と呼び、
『A Course in Miracles(奇跡のコース)』では、「特別な関係」と呼びます。

 

「特別な関係」はエゴの分離の幻想にほかならないので、必ず終わりを迎える
と、コースは教えています。


「特別な関係」の終焉が訪れるのが数週間先か、数年先か、それとも子育てが一段落するタイミングかは人それぞれですが、


明らかにどこかのタイミングで
「この人はわたしの人生を変えてくれる特別な人」という幻想が崩れさる体験は
すべての人が体験するものです。

 

その幻滅の瞬間を体験しない人は、「運命の人」に出会った幸運な人ではなく、
はじめから幻想を持たなかった人だけです。


相手にかぶせていた、自分の期待という幻想のヴェールがはがれ落ちたあとにあらわれる
「ありのまま」の相手を愛することができるか。

この「ありのままの相手」を愛することこそが、
『奇跡のコース』で「聖なる関係」と教えているものです。


「たべものの好みが近い」
「趣味があう」
「顔が好み」


など似ているところを探しては、運命の人だと思っていたのに、
関係が成熟してきて「特別な関係」が終わりを迎えるころには、


「ちょっとしたことでイライラする」
「だらしない」
「お金に細かい」


など、違いを探しては、がっかりして、ますます隔たりを感じるようになってしまいます。

 

相手に映し出しているのは、いつもエゴ(自我)の幻想だと
『奇跡のコース』では繰り返し教えています。

つまり、受け入れられないがっかりするような違いの数々も
わたし自身の幻想にすぎないのです。

「相手がイライラすることを裁く気持ち」の中には、
イライラしている自分がいますし、


「相手のだらしない態度を嫌悪する気持ち」の中には、
やっぱりだらしない自分がいます。

 

本当に「ゆるせて」いることは、気にならないからです。

多くのカップルをみていていつも思うのは、
真逆の人をパートナーに選ぶものだなぁということです。


性格がきっちりしっかりしている人は、
ゆるい家庭で育った人を選ぶ傾向があって、


ルーズなところがある人ほど、お嫁さんはしっかり者という人を選びます。
そして不思議と、「つきあっているときにはそれが気にならない」のに、
結婚してしばらくすると、当然のごとく問題が一気に吹き出すのです。


わたしは
「陰陽はそれぞれ独立して存在するものではなく、
一方が存在して他方が存在するという相互関係にある」という
「陰陽互根」の考え方が好きです。


自分の中に、たとえばポジティブな(だと自分が感じる)要素が強いと、
ネガティブな(だと自分が感じる)要素を必要として、
自分の中に見いだせないときは、パートナーにそれを求めるものなのだなぁと
多くのカップルをみていて本当に思います。


たとえばものすごくきちんとしたしつけの厳しい家のお嬢さんが、
いわゆるダメ男くんに惹かれたりというのはよくあることです。


ガンコな男性には柔和な女性、
男勝りに働く女性には、主夫になるタイプの男性というように。


そして、相手と自分とは違うという分離の幻想に根ざした「特別な関係」が終わりを迎えるころ、


「自分とは違う相手」を、自分自身の合わせ鏡としてゆるし、
受け入れていくか、


そのまま分離の幻想を手放さずに、
「あの人は思った人ではなかった」と、別れやあきらめを選ぶか、


選択するときが来るようにかんじます。

 

そもそも、自分のありのままが受け入れられていて、
それ以上に器を広げる必要がない場合は、
自分と異なった相手に出会うことなどありません。

 

自分の中に受け入れられない要素があるときだけ、
わたしたちは、人間関係を通して「過不足」をみます。


わたしたちといういのちの真実は、過ぎたるも及ばざるもない、「中庸」の状態なのです。

わたしたちが育つ過程で得たさまざまな思い込みによってせばまった自分の感覚を
もう一度取り戻すために「結婚」という修行があるように思うのです。


「この人が」と思っていたのは、単なる幻想にすぎませんでした。

そのたびにわたしがみていたのは、
わたし自身が「欠けている」という、エゴの幻想の投影でした。

 

結婚は修行といっても、苦しいとはかぎりません。


気持ちしだいで、相手にみつける「違い」を「自分の中の才能」と認め、
自分を広げていくことができれば楽しい修行になるでしょう。


それが「聖なる関係」であり、
本来の結婚の意味なのかな。


わたし自身の今までを振り返って、そう思うのです。

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Yuriel

〜 魂のテーマをナビゲート 〜 ☆「癒すこと」が目的でないホリスティックカウンセリング&スピリチュアルコーチング☆ A Course in Miracles(奇跡のコース)をベースにした、 超意識を活用したカウンセリングをしています。 ある時期には、電話占いサイトを中心にスピリチュアルカウンセラーとして 4年でのべ5000人以上のスピリチュアルリーディングをさせていただき、い... >>続きを読む

 

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