「子どものためと思ってがんばってきたのに、子どもとわかりあえない」
「家族のためにといろんな努力をしてきたのに、夫が浮気した」
「人のため」が報われないということは、よくあるご相談のひとつです。
多くの宗教、哲学などで
本来わたしたちは「人のために役立つ」ことが
生きがいの本質であるととらえられているのに、
「人のため」が報われないというのは、一体どういうことなのでしょうか。
「人のため」がうまくいっていないというご相談をお聞きしていると、
愛が重そうに感じることがあります。
「あなたのことを大事にしてあげるから、わたしのことも大事にしてね」
という静かな要求がのっかっているような感じなのです。
まったく自覚していなくても、心の中にある欠乏感は、
与えるという行為にエネルギーとしてのっていってしまいます。
だから受け取る側はなんとなく、「ありがたく」受け取れないし、
与える側も、喜ばれないので、報われない気持ちが大きくなってストレスがたまります。
相手の側はなんとなく重たい感じがして、感謝を求められるほど逃げ出したくなってしまい、
与える側の気持ちとは裏腹に、距離を置こうとしてしまうことが多いようです。
お子さんが家に寄りつかない、彼が浮気をするなどは
このパターンのように感じます。
「人のためにがんばらないと」と思っているのにうまくいかない方には、
まずは、
「自分のためになるかを考えてみること」
をおすすめしています。
食器を洗う、洗濯をする、プレゼントをする、やさしい言葉をかける……
「あなたにとって」やりたいことかどうかを確かめてみて、
やりたいことだけをやってみてください。
たとえば「彼のため」にレストランを予約するのではなく、
自分が行きたいから予約してみるのです。
「彼のため」ではないので、相手に「わたしのこと認めてね」という重い期待ものらず、
逆に「わたしの行きたいところについてきてくれてありがとう」という気持ちになれます。
当然、以前は「わたしの思いをわかって」という重い期待がのっていたものが、
逆に相手に感謝をおくれるようになるので、相手の受け止め方も変わります。
報われない「人のため」は、結局「自分の欠乏感を埋めるため」だったのではないでしょうか。
「自分のため」とわかっていたら、相手に要求するのではなくて
「ありがとう」と感謝の気持ちをおくれたのに、
「相手のためにやっている」と信じていたから
満たされない気持ちが募ってしまっただけなのです。
まずは、「自分のため」から。
自分の器が満たされたとき、自然とあなたの周りが愛に満たされていくのです。