「心の傷は、癒すな。」
使い古された、ビジネス本のキャッチコピーのような言葉が、
ある朝、森を歩いているとき降りてきたのです。
今まで悶々と考えていたことが、ストンと腑に落ちた瞬間でした。
「ああ、そういうことなんだな」そう思えたのです。
「心の傷」を持っている人は、すばらしい感性の持ち主です。
「心の傷」が「みえる世界の差異」をつくっています。
わたしたちの魂は、もともとはひとつなので、「みんな一緒」です。
コダワリを捨て、自分にとって理不尽だと感じることを理解し、受容する。
セラピーにおいて心の傷を癒していく作業は、
エゴをとりのぞく取り組みです。
ですから、エゴを完全にとりのぞくことができれば、
傷つく自分とさようならできます。
そしてみんなが、互いを思いやり、調和のとれた社会をつくることができたら、
どんなにすばらしいでしょう。
でも実際に、本当にそうしたいと思える人はどれくらいいるのでしょうか。
多くの人は、「自分の」人生を生きたいと思っているような気がします。
もしそうだとしたら、「癒す」必要はないのだと思います。
「傷つく自分」と仲よくやっていくしかないのです。
癒えない悲しみが癒される唯一の方法は、「忘れること」です。
仕事に没頭する、嗜癖する、なにかにすがる…
忘れる方法はいろいろありますが、感情を手放すことを阻んでいるのは、
方法の問題ではありません。
ひどかったできごと、
喪った家族やペット、
「忘れたくない」という思いがあるから、忘れることができません。
ときには、「愛する人を忘れること」への罪悪感に
苦しめられることもあるでしょう。
わたしたちは、なにかに「打ち込む」ことで、
それらの思いから自由になることができます。
それは、意識的にしなくても、自然と行われていることのように思います。
何気なく書いている文章が、
撮った写真が、
交わされる言葉が、
きらっと光っている、そんな感じがするのです。
傷つきやすい人たちは、特殊な波動をもっていて、
それが才能だと思います。
成功している人たちというのは、悲しみや憎しみを抱えていなくても、
大いなるコダワリがあり、それこそがその人を魅力的にしています。
コダワリはともすると、それを善しとしない人たちとぶつかりますし、
それをおそれていては、その個性を発揮することはできないでしょう。
アーティストだけでなく、ビジネスの世界で生きている人にも
そんな「コダワリ」をみます。
その「コダワリ」のある人が、「成功している」と呼ばれる人だとも
思います。
目に見える世界で成功したいなら、「傷つく自分」と
折り合って行く必要があるのでしょう。
ブッダ(目覚めた人)になれば、「傷つく自分」とさようならできますが、
目に見える世界での成功とは無縁です。
ブッダがみた世界は「空」なのですから。
わたしたちは、「色」を体験するために生きているのだと思います。
消えても、消えても、「自分の色」にチャレンジしたい。
それが、わたしたちのいのちにプログラムされている、
エゴという自分を苦しめる不思議な存在の正体なのかもしれません。
あなたの悲しみのなかに、
あなたの苦しみのなかに、
あなたの魂が本当に望んでいる、
生きがいのヒントが隠されています。
だから、
Don’t heal. Feel!
「心の傷は、癒すな」を伝えたいのです。