奇跡ってどんなものなのでしょうか。
「奇跡」とか「ミラクル」という言葉に対して、
「奇跡なんか起きない」とアレルギー的反応をする人も、 「奇跡を起こす」というような前向きな人もいらっしゃいますが、
わたしはこんなふうに考えています。
奇跡というのは、目の前に「起きる」ことではなく、
「起こっている」こと。
もっと具体的にいえば、
「起こっていることに気づいているわたし」
そのものなのかもしれないなと。
「奇跡なんか起きない」という人も
「奇跡を起こす」という人も
奇跡を、「自分にとって都合のいいこと」と考えているような気がします。
もし、「自分にとって都合のいいこと」が奇跡だとしたら、
それは本当の幸せとはほど遠いものです。
なぜなら、そこには
「自分にとって都合の悪いこと」への恐れ、不快感が
常に、同時に存在しているからです。
わたしたちのなかから、不安や恐れ、そして不快感が消えさり、
わたしたちの身体(エゴ)にとって都合のいいことも、悪いことも、
ありのままの事象をありのまま受け入れることができたとき、
大いなる存在の中で絶対的な安心感としあわせを感じることができます。
それは、この宇宙の中のすべての事象と完全に調和して、
どこにもムリもムダもない状態だからなのだと思います。
自分にとって都合のいいラッキーなできごとが、奇跡なのではありません。
それは、わたしたちのエゴがみせている幻想にすぎません。
本当の奇跡は、静かな調和のなかにあるのです。