20代後半、自分が稼いだ金で頑固親父の還暦祝いをしたいという思いが生まれた。
そして、今の事業サービス系の会社で正社員として働き始めた。
俺は奇跡的に一年間、辞めることなく仕事を続けられた。
父に4万円のブランド時計をプレゼントした。
不器用に生きてきた父の号泣する姿を初めて見て、照れくさかったのを今でも覚えている。
しかし、せっかく目的を果たせた俺だったが、「生きづらさ」からは抜けられなかった。
無職やひきこもりという、世間の冷たい目からはやっと解放されたはずなのに…
今度は仕事がうまくできない自分、人間関係で傷つく自分に苦しむ。
============
次に、外見が良くなれば生きやすくなるかも!そう考えた俺は、「4ヶ月で40キロ」という無謀なダイエットを決行してしまう。
そして、理想の体型を手に入れた俺は、今までにないオシャレをして得意気に日常生活を送った。
だがそれも束の間の出来事だった。
過度なダイエットをした俺は、知らぬ間に「普通に食べること」ができない病気になってしまった。
あんなに苦労して外見を良くしたのに、結局、生地獄は続いた。
また俺はダメだった…。
やがて自分が、体重や食物に異常にとらわれて、狂った行動をしてしまう状態だと気付いた。
俺は大人になってから、再び自らの足で心療内科に行った。
不安障害、鬱病、摂食障害と診断された私は、通院をしながら2つの決断をする。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
『依存症や生きづらさの問題から回復しようとしている仲間』と繋がること。
『依存症を必要としない自分作り』に励んで、生きづらさ・苦しみの原因とやらを探し続けて、根絶やしにしてやること。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
大人になってまで、心の病に向き合うなんて恥ずかしい。当然、そう思う時期もあった。
だけど、私は自助グループに通い続けた。
そして、同じような生きづらさに苦しむ仲間が実践する、『内面変革プログラム』を本気で取り組んでみた。
こうして私は「今」を生きている…
今も、これからも、自分との向き合いは続けていく…
天国があるなら行ってみたいけれど、そんな妄想ばかりしていても解決はしない。
人生は決して天国ではない。
ただ、胸をはって言えることがある。それは
○自分の弱さや欠点から逃げず、自分の生きづらさと向き合うことを始めた私…
○回復の道を歩きはじめてからの私は…
今までの人生より百万倍、有意義だ!
これは本心だ。
青春なんか一つもなく、ただひたすら過食してひきこもっていた過去の私…
そんな私が、仲間が集まる居場所に支えられながら、自己変革プログラムに取り組み、心身ともに元気になり生まれ変わった。
生まれて初めて生きることに幸福を感じ、他者を信頼して、充実した日々を送ることができるようになった…
============
そんな矢先、今度は余命一ヶ月の末期癌の母を見送らなければならなくなった。
(※このあたりの話は著書に少し記載されている)
私は頑固親父と二人きりに。
その後、さらに末期癌になった父との介護生活が始まることになる…
4年前、若者が横浜八景島シーパラダイスに向かってデートではしゃいでる電車の中…鞄にヘルプマークをつけた私は、隣駅の横浜市大病院へ。入院中の父のパンツを届けるために吊革をつかんでいた…
3年前、元ひきこもりで何一つ出来なかった私が、喪主として、父の望んでいた通りの葬儀を開いて見送った。
両親の介護、そして他界してからの手続きも、一人でこなすのは本当に大変な日々だった。
だが、今ではきちんと墓も引き継いで、無事に母の七回忌と父の三回忌を済ませた。
先月もハロウィンで仮装した人たちが騒ぐ電車の中、県の偉いさんと面会の約束をとった私は、県をまたいで真っ先にとある被害者の会の人たちに会いに向かっていた。
いつも皆が青春を楽しんでいるなか、私は光が当たらない地味な日々を送っている…
『家族が一人もいない』
『権力も金も女っけも全くない』
『何一つ旨みがない』
44才·貧乏·独身の私の人生がつまらなく見える人も多いだろう…
だけど、ハッキリと言えることがある。
それは…
今の自分の人生…そんなに悪くない!!!
【死にたいくらい苦しい若者・サバイバーたちへ (3)】