周りから見たら、一人っ子の僕は裕福で幸せな子どもに映っていたかもしれない。
でも、サラリーマンの父はいつも家で怒鳴り散らしていた。
自分で稼げない浪費家の母は、裏で借金をしまくり、父からDVを受けていた。
閉鎖的な我家で両親の喧嘩は絶えず、父の価値観が絶対だった。
お調子者の母は、父不在時は僕の味方をしてくれるが、借金があるので父には逆らえない。
僕はいつも一人ぼっちだった…
僕にも理由があるのに、世間体を気にする父は頭ごなしに僕を叱った。
小学校高学年の時、夕方5時のチャイムには帰らされた。僕が、「周りの友だちは帰ってないよ。僕ももっと遊びたいし、仲間外れになっちゃうよ…」
そう父に訴えると、
「お前の周りの奴らだけが変わっていて不良なんだ!ほとんどの子どもが5時に帰るから、市はチャイムを鳴らすんだ!」
と即答で却下された。
僕の中には、『話すな!感じるな!信頼するな!』という性質の芽が広がる。
僕が父に褒められたのは、成績など世間的に評価を得た時だけだった。
いつの間にか僕自身も、自分の存在そのままでは生きられなくなった。
「存在+Do(何かを成し遂げる)」
の状態で常にいなければならない。
早くから生きづらさを抱えていた僕は、一生懸命に勉強して学級委員長も長くやった。
しかし、良い結果なんて長続きしない…
そして中学2年の時、不良たち3人に神社の裏手に呼ばれた。
行った先には、20人ほどの会ったこともない不良や暴走族が、改造バイクに乗って待ち構えていた。
囲まれた僕は、鉄パイプや金属バットで殴られて、砂を食べさせられた。
集団暴行を受け続ける僕の横を、立派なスーツを着た大人が何人も素通りしていった…
それからの僕は、完全に人が怖くなった。
外に出られなくなった。
「人間」という存在は、本気で悪魔だと思い込む時もあった。
そんな事情も知らず、父は「働かざる者食うべからず!」と冷めた目で僕を責めた。
それが父の生き様、戦後の極貧生活を生き抜いてきた父の教育で、親の務めだった。
僕は怯えながら、鬼ヶ島のような学校に出席日数ギリギリで通った。
授業中、僕の体に今までにない異変が起きはじめた…
教科書を読む手が震えて止まらないのだ。
過呼吸になって音読すら出来ない。
ただ数行を読むことができず、息切れして泣きそうになる僕。
そんな姿に、クラスから笑い声がもれる。
僕はさらにイジメられ続けた。
毎日、不良たちは窓を割り続ける。
先生は表面上の注意をするだけで、女子生徒とイチャイチャしていた。
学校でトイレに行く時は、誰もいない静かな校舎のトイレまで走った。
保健室登校もない。
スクールカウンセラーもいない時代。
ポケベルが流行りはじめたくらいの頃。
誰かに自分の気持ちを話したり、周りに表現する手段なんて一つもなかった。
やがて僕は不登校になる…
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僕のひきこもり生活が続いた。
数少ない心療内科に通院・入院をして、結局は留年。
主治医の判断で16歳から両親と離れた。
ヨボヨボな母方の祖父の所で、二人暮らしをすることになった。
僕は一番いい学校への進学を諦めて、5ランク下の学校へ…
有名な小泉議員などエリートたちが通う「横須賀で一番いい学校」を素通りして、急な坂を自転車で登って学校へ通った…
父と世間の目、そして出席日数ギリギリラインを気にする毎日で、学校では元気に作り笑いをする。
『僕にはS0Sを出すことも出来ない』
『S0Sを出せる人も場所もない』
『生き方が分からない』
『誰も教えてくれない』
あの時の僕は、ひきこもって過食して寝て、現実逃避するしかなかった。
本当にどうすることも出来なかった。
部屋の中だけが身を守れる安全地帯だった。
真夜中や台風、大雪の日が好きだった。
誰からも文句を言われずに堂々と布団に潜っていられるから。
だけど、『そんな大雪の日も往復4時間かけて、満員電車に乗って出勤する父』
『そろばん世代で肩身の狭い職場に、絶対に休まないで玄関を出て行く父の背中』
『毎日家事をしてくれる母の姿』に、心のどこかで申し訳なさと「ありがとう」という気持ちがあった…
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祖父と暮らし始めてからも、部屋にこもる事が多かったけれど、通学は休み休み何とか続けた。
結局、僕は一つ年下の同級生と4年かけてギリギリで高校卒業を果たした。
それから、児童福祉系の大学で幼児教育などの現場研修までしたものの、とうとう力尽きて初めての中退。
その後、地元横須賀を出た…
祖父の介護からも離れ、今までの小遣いを切り崩して、横浜で独り暮しを始めてみた。
環境を変えれば自分は変われると信じていたが、またダメだった。
成人を過ぎてからも、フリーター、無職、ひきこもり期が続いた。
青春時代を楽しむことなく、塵も積もればで貯まっていた貯金もどんどん無くなっていく…
『毎日何もしていないのに苦しい』
『自分の将来への不安』
『老化する親の介護からは逃れられないという恐れ』
バイトを始めてみてもすぐ疲れてしまい、人間関係にも耐えられずに辞めてしまう。
結局無職になり、また一人で部屋にひきこもって食べ続ける。
体重は128キロになり、毎日が生地獄そのものだった…
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だけどこの頃の俺は、親や社会のせいにするのは止めていた。
なぜならば、この苦しさにどんな理由があろうとも、成人を過ぎてからは、「自分の人生は自分の責任」と思ったからだ。
だから、この生きづらさから解放されるために、自分なりにもがき続けた。
気功をやったり、寺修行に行ったり、様々な職種についてチャレンジをしてみた。
でも、やっぱりダメだった…。
自殺だって何回考えたことか。
でも自殺なんて、とても怖くて出来なかった(泣)。
毎日本当に苦しかった。
だけど、憧れのX JAPANのギタリスト故HIDEが生き抜いた33の歳になるまで、もがいてやろうと決心した。
そして諦めずに、自分が出来そうなことから行動することを続けてみた…
【俺の変革期 ~やってやる!〜 (2)につづく】