♪自分らしさってなんだ? “人とは違う” で差をつけろ
コンビニの雑誌コーナー 表紙に太字で書いてあった♪
これ、最近好きで聞いています。
SUPER BEAVERさんの「らしさ」という曲の冒頭部分です。
ちょっとドキッとする歌詞ですよね。
自分らしさ。
魔力があるというか、不思議な魅力があることばですよね。
それでいてよく分からないという……
そして、飯野はミッションを作って持っています。
「自分らしく生きる人々で、世界中をあふれさせること」
この、自分らしく、ということばをカンタンにまとめるとこんな感じです。
自分とコミュニケーションを取り、自分を知る。
自分らしさを実現するためには、他者とのコミュニケーションもまた、重要である。
ということです。
カンタンにまとめると、実に抽象的になりますね。
自分とコミュニケーション + 相手とのコミュニケーション
しかし、視点が割れてるな、と考えました。
分かり易く分けたら分かりにくくなったような気がします。
よって、原点に戻って、自分らしさってなんだ?
この視点で書いてみます。
自分らしさとは、突き詰めると差異、違いということになります。
人とは違うから個性。
どこかで、自分に会ったことのある人っているのでしょうか?
いませんよね。
ということは、そこに違いがあるということです。
あなたのまわりに誰もいなければ、違いは生まれません。
ひとり、またひとりと増えると、違いが生まれます。
顔、体格、好きな食べ物、暑がり、寒がりなど……
すると、自分と相手との境界が発生します。
自分と相手。
相手はこんな人、自分はこんな人と言った具合に。
この境界があいまいになってくると、依存が発生します。
親離れ、子離れできない親子。
会社等のグループ、集団への依存。
子供のため、と言いながら自分の見栄、恥と言った満足感の上下によって、おしゃれ、進学、ときには就職、結婚まで支配したリ……
仕事とプライベートの境界がなくなる。
休日出勤したり、徹夜をしても代休は取らない。
家族の重大イベントでも、連絡があると仕事に飛んでいってしまう。
1人でいることができない。
仲間の様子が気になって、または、外されないためにスマホから離れられない。
…
……
相手の境界に入り込んだり、入り込まれたりする。
融合する、融合される。
そうなるとそこは、プレッシャー、逃れられない息苦しさがあります。
まず、「自分と相手の間に境界線があるということ」を意識してみることが大事です。
なんだか圧倒される、強要されているような気がする。
そんなときは、自分と相手は別の人、自分と組織は一緒ではなく、協同関係。
そうして区切ってみると、ホッと息がつけるでしょう。
すると、新しい選択や気づくことがあります。
自分と相手(組織、グループ含む)の間に境界線を引きましょう。
これが「1、自分を知り、相手を知るために境界線を引く」でした。
「想像編」はその続きになります。
境界線?
そんなの存在が分かれてるんだから、当たり前だよ。
そう思う方もいるのではないでしょうか。
そうですよね、確かにそうかもしれませんね。
では、これはどうでしょうか?
「いや、だってみんなそう思ってるよ」
「きっとアイツも分かってくれるはず」
「言わなくても、そんなの(社会のルール、モラルとして)当たり前でしょ」
このようなことば、使ったことありますよね。
このとき、「みんな」とか「アイツ」とあなたは同化しています。
「みんな」「アイツ」、具体的に誰なんでしょうか?
あるいは、その人達に思っていることを確認しているのでしょうか?
違いますよね。
想像ではありませんか?
期待ではありませんか?
もしかすると、疑うことすらない、価値観や社会のルールかもしれません。
親、学校、先輩に与えられ、教育されたそのままの……
これは、人間に備わっているショートカット機能だと思うんですね。
思考、判断、行動を自動化して早く行うための。
意思決定、行動を早くして生き残る、本能的なものでしょう。
ですので、誰もが自然にしていることです。
なんですが、ただ、自分に都合良く使っていませんか、ということです。
前回の子離れですと
・子供のためにしている
・子供はきっと感謝するはず
・いま反対していても、子供もわかってくれる時がくる
こんな感じですと、親にとって境界があいまいで都合が良いように思います。
仕事の例であれば
「こんなに徹夜までして頑張っているんだから、会社は言わなくても、わかってくれているはず」
これって、伝わってません。
社長が24時間見ているならともかく……
いえ、見ていても伝わらないでしょう。
見ていたとしても、まわりの同僚も同じように働いていたら、それがその会社の標準です。
そこであなたが頑張り、辛さ、苦しさを感じたとしても、それはあなたの世界のことです。
その会社の当たり前の世界とは違うんですね。
これは、都合良く伝わっていると思っているが、実は伝わっていないという都合の悪いパターンです。
このような以心伝心的な、「相手もきっと?」「みんなも?はず」という思考は、誤解を生み出す原因です。
それを避けるためには、やはり境界線を意識してみることが大事なのです。
相手と、みんなと、組織と境界線を引いてみるのです。
こうすることで、自分を加害者にしてしまったり、自分で被害者になってしまうことを避ける事ができるでしょう。
…
……
子供がスゴい、組織がスゴいとは、嬉しい事ではありますが、あなた個人やあなたらしさとは関係ありません。
子供の出来が悪い、会社が潰れたとは、残念な事ですが、あなた個人やあなたらしさとは関係ありません。
…
それぞれ別のことです。
…
今回は境界線、特に想像の部分について深めてみました。
あなたって、何人いますか?
…
1人ですよね。
2人いたら便利だなぁ、と誰もが想像したことがありませんか?
では、これはどうでしょうか。
あなたの役割って、いくつありますか?
(手で書いてみるといいですよ)
…
わかりにくいですかね。
たとえば、こういうことです。
・子である(親がいれば)
・親である(子がいれば)
・夫(妻) (結婚していれば)
・〇〇会社社員、経営者、〇〇学校生etc.
・部長、先生、大工(役職など1つ上とかぶるかも)
・市民、〇〇県人、日本人
・部活、サークル、クラブの一員(体育会系?文化系?趣味?)
1つしかないということはないと思います。
もし、1に近い数字だと、「大変ですね、ツラいですよね」
なんてことになってしまいます。
…
ちょっと脅しっぽかったですね。
飯野であればこんな感じです。
子である
兄である
おじである
飯野家の一員
30代の男世代
高崎市民である
グンマーである
日本人である
日本産業カウンセラー協会員
日本ゲシュタルト療法学会員
ブロガー
立正大学卒業生
前橋育英高等学校卒業生
中尾中学校卒業生
新高尾小学校卒業生
こうすれば、たくさんありますよね。
所属していなくても、「〇〇好き」でもいいです。
サッカー観戦好き
プールで泳ぐの好き
etc.
こうして書いて見たものを眺めてみてください。
すると、あることが起きます。
1つに注目してみてください。
あの人どうしてるかな?
あれ用意しなきゃ。
あんなこと(思い出)があったなぁ。
今年の母校は?だな。
あなたは、いまの状態を離れて、懐かしくなったり、悲しくなったり、誇らしくなったり、怒りを感じたり、心配になったりとイロイロな事を感じたでしょう。
では、いつもの、普段のあなたはどんな自分、どんな役割を意識していますか。
仕事(学校)、家庭、趣味etc.
はじめにチョット脅かしたんですけど、1つだったらキツイと思うんです。
いじめられて、学校へ行きたくない。
家にいても、親が学校へ行けと言う
先生も友達も学校へ行けと言う。
学校なんてなくなればいいのに。
仕事で失敗した。
上司や同僚に謝った。
明日先方に謝罪に行く。
会社に行きたくない。
家に帰っても、仕事が気になって家族の相手なんてしていられない。
イヤな学校や仕事の役割を、ずーっと続けています。
悩んでいるとき、ツラいときってこんな状態ではありませんか?
…
1つの自分の役割に入り込み過ぎると、苦しいです。
イヤだと思ってるそれ(学校、仕事)に同化してしまっています。
ツラいことイヤなことは、1日中考えていなければならないのでしょうか?
ずーっとこだわることで、自分に苦しさを証明していませんか?
責任感のある、しっかりした人ほど、問題にこだわり続けるような気がします。
ですが、苦しむことと、責任を果たすことはイコールではありません。
違う役割になって、気分転換したほうが上手くいくものですよ。
料理したり、運動したり、関係のないことをしているときに問題のヒントが浮かんだりすること、経験ありませんか?
仕事では仕事の役割、家庭では家庭の役割、集まりでは集まりの役割。
上手くいっているときは、自然に行ったり来たりしています。
上手くいかないときは、境界線を引いて、役割を演じてみるのも一つの方法ですよ。
起きたときは夫。
食卓では父
出勤したら仕事人
お昼ではランチ評論家
午後はふたたび仕事人
帰宅の電車で吊り広告を眺めて、時事評論家
扉を開けたら家庭人
子どもと風呂に入って父
友達から連絡があったら同級生グループ
パソコンをひらいて趣味人
夜はふたたび夫(笑)
普通の一日にたくさんのあなたがいますよ。
ときには、目指せアカデミー賞でもいいんじゃないですか?
「自分で境界線を引いてみる」とすると、難しいことのように思う人もいるかもしれません。
ですので、逆の例を上げてみたいと思います。
みなさんは中学校や高校等で、進路指導を受けた経験ありますよね?
学年で集めてガイダンスを行い、コースや学科別に指導します。
最後は個人面談で個別に相談しました。
だんだん数が少なくなってます。
学年→コース→個別
だんだん境界が狭くなって、最後は個人になりました。
これって、どうして個別に面談までするのでしょうか?
?そんなの当たり前でしょ。
当たり前ですね、その当たり前とか、フツーだよ、という理由はなんでしょうか?
…
……
個人には個人の、したいこと、やりたいこと、行きたい学校や会社等があります。
あるいは、この学校はイヤ、この業種には就きたくない、といったこともありますよね。
ここにあるのは、望みです。
?したい、?をやりたい、という肯定形な望み。
これはイヤ、これはしたくない、といった否定形な望み。
人それぞれに望みがあります。
肯定形な望みが無いとしても、否定形な望みは持っているものです。
ですから、個人の望みに配慮した、個人面談になるんですね。
では、ここで1つ、学校(先生含む)の望みってなんでしょうか?
思いつきとか気まぐれではないですよね。
年間予定行事だから?
それもあるかもしれません。
保護者や生徒が望むから。
当然の理由ですね。
他にもありますよね。
希望の進路を叶えてあげたい。
後悔させたくない。
卒業ギリギリに大騒ぎされたら面倒だから、まとめて早くして落ち着きたい。
現実と向き合って欲しい。
夢を持ったり、考えたりして欲しい。
良い進路に送り込めば、入試や入学生が増えて稼げる。
良い進路に送り込めば、学校(先生)の評判が良くなる。
こうしてみると、自分にも、隣の席のA君、Bさんにも、先生にも、学校にも、それぞれ別の望みがあるということがわかります。
そして、望みは個人で持っているものと、グループの望みの2種類がありそうだ、ということもわかりますね。
個人面談という境界線を与えられると、私達というグループではなく、私という主語で望みを考えさせられるのです。
自分の望みはなんだろう?
この問いが自分を考えるということにつながっていくんですね。
自分の向いていることは?
したいことは?
得意なことは?
嬉しいことは?
楽しいことは?
etc.
…
……
たとえばお昼のランチ。
友達同士や職場の同僚と出かけます。
何食べよっかー?
パスタ?お魚?ハンバーグ?ラーメン?
グループで食べに行くとき、まずどこへ行くか決めますよね。
めでたく決まると、イザ出発、美味しいものを求めて!と。
そして今日はラーメン、次の日はパスタ、次の日は……
美味しいランチ、イイですね、楽しそうです。
ところでそのメニュー、本当に食べたいものですか?
もし、公平な集団だとすると、人数分の1の確率であなたの食べたいものになるはずですよね。
いかがですか?
食べたいもの、食べられてますか?
こういうときって、パターンがあると思うんです。
自分で食べたいものを主張していくタイプ
他の人が良ければそれに乗って、というタイプ
その2つを使い分けたり、出された意見を受けて、それにオーケーかそうでないかを答える柔軟なタイプ
これ、ランチだけでなく、授業や仕事の会議、友達との会話でも同じパターンを持ってたりします。
主張する人は、いつも主張する。
他の人の意見に乗っかる人は、いつも乗っかる。
…
どこで何を食べるかを主張するなんて、たいしたことじゃない。
そう思う人もいますよね。
そして、空気を読みまくる人には、大事だったりもするんです。
同じように、授業、仕事、会議、友達や家族との会話で、空気を読みまくるんです。
そうして続けようとする協調性って、「望み」なんでしょうか?「恐れ」なんでしょうか?
…
そうですね、和をもって貴しとなす、その通りですね。
では、ずーっと、ずーっと相手の望み、グループの望みに合わせ続けていると、自分はどこにいるのでしょうか?
定年退職してすることが無い
(会社の望みに乗っていたから)
いつも会議のあと、モヤモヤする
(みんな賛成なので、疑問に思っても黙っている)
いつも授業のあと、わからないところがある
(質問すると休み時間が短くなる、みんなに迷惑かかる)
このようなことだったら、それは協調性や配慮、和でしょうか?
…
……
まわりにたくさん人がいるとキツイですが、少数のとき、友達同士のときがチャンスです。
食べたいものを主張してみる、そんなチョットしたことが、自分の望みのはじめの一歩だったりします。
某国会議員の支出の報道について感じたことがありました。。
オヤジが急死して地盤を継いだからなぁ
良く分からないうちに、悪い秘書に都合良いようにされちゃったのかなぁ
…
などと思って気づいたんです。
これは、私達の視点なんだなと。
群馬県選出の議員だからという、グループ、所属で見てる。
さらに、あの人が応援してたな、という関係性でも見てるじゃないかと。
これが他都府県の選出議員だったらどうかな?
何も関心がないか、国会議員のどっちかでしょう。
はじめは、飯野は群馬県人ですので、群馬県グループの私達視点でした。
プラス、Aさんが応援する会みたいなのに入ってたな、ということが浮かびました。
関係のある人が応援してたりすると、直接関係なくても、Aさんが応援してるからという理由で味方に入ります。
(選挙運動自体がこれですよね。商品の友達紹介、タレントによるCMもそうですね)
私達というグループ+Aさんとの関係性という2重の意味で味方ポジションに入っていました。
ですが、この2つを外してみると、何も関心がないか、国会議員(笑)になってしまうんです。
ほとんどの国会議員と、群馬県選出の議員では境界線がいつの間にかできていました。
関係性も入っていますが、私と私達という境界のわかり易い例かなと、取り上げてみました。
みなさんは、新聞、TV、web等のニュースに日常的に触れていますよね。
そのとき、「ん、俺(私)のことか?」なんて思ったことありませんか。
未婚の独身者が増えて?
20年後には高齢者の割合が?
団塊の世代、平成生まれ
ガンダム世代、ワンピース世代、バブル世代
アラサー、アラフォー、アラフィフ
自分のこと?ってピンときたら、私達グループです。
こういったグループでいる時間が長いのは、仕事でしょうか。
世の中は大きな会社ほど叩かれます。
週刊誌等はささいなことでも、具体的な会社名で記事にします。
大きな会社って、チョットのことでは揺るぎませんから、取り上げやすいんですね。
記事にする側にとっては、誰でも知ってるし、オマエのせいで潰れたと言われる心配が無い。
注目を集められて、批判的なネタで叩いてもブーメランで自分が叩かれることはない。
なので、ネガティブなことがバンバン記事になります。
(す◯家、マクド◯◯◯、ワタ◯、という風に記事になりやすいんですね)
会社で見たら、上場してたり、社員もたくさんいて、全国展開して、強そうです。
ですが、中で働いている人は人間なんです。
働いているのは、昨日すれ違った、あの人かもしれませんし、あなたかもしれません。
不祥事や疑惑、大幅赤字などが発生すると、報じられます。
新聞、TV、web、社内で話題になったり、来店客や客先で直接、間接に言われたりもします。
考えただけでもウンザリしますよね。
さらに、ネガティブ報道は続くものです。
おめでたい報道は1日で終わるものがほとんどです。
けれども、ネガティブな報道は、本当なのか、いつ説明するのか、謝るのか、対策は、その内容は適切か、責任の取り方は、追加の詳細な情報、過去の不祥事etc.
どんどん続く傾向にあります。
このようなネガティブなシャワーを浴び続けたら、どうなるでしょうか?
責任感の強い人や、まじめな人ほど、自分が叩かれるているように感じます。
会社=自分になってしまうんです。
能力があって、仕事に誇りを持っていても、自分が徹底的に叩かれていると思ったら、どうしようもありません。
視線も肩も落ち、体も重くなって、ひとり言が増えたり、小さく見えたりするかもしれません。
…
……
大勢いたら、人数で責任を割ってもいいんです。
私は私、会社は会社でもいいんです。
ずーっと会社人でなく、私でいたら無責任かもしれません。
でも、ずーっと会社にくっついていることもまた、自分を大きく見過ぎています。
スーパーマンでもないあなたが、責任を感じて解決することってできるのでしょうか。
責任が釣り合っていますか?
「まぁ、スーパーマンじゃないし」
大きすぎる責任を手放して、自分に帰る。
あきらめて手放すことも解決の1つです。
先日、出かける前に今日はどうしようか?なんて考えてクローゼットを見たんです。
よし、今日はこれにしようかな!
…
あれ、チョット待てよ……。
昨日はどんなだっけ?一昨日は?
一度取ったハンガーを、そっと戻しました。
というのは、昨日も一昨日も同じようなファッションだったんですね。
上半身はグレー系。
下半身はホワイトのパンツ。
同じ系統で3日続けるのもなぁ?
なんて思って、上はベージュ、下はジーンズに変更しました。
上下が逆の色味になった感じです。
着替えたあとに、もう一度クローゼットを見返すと、青とグレーが多い。
多いし、手にとっちゃうんだよなぁ、そんな一言が出てしまいました。
みなさんもこんなこと、ありませんか?
スーツや作業着、制服を普段着ている人が、長期の休みに入ったときはどうでしょうか?
色よりも形の場合もありますね。
ジャージが好きで、いつもジャージの人。
ジーンズが好きで、下はジーンズを履く人。
etc.
…
……
私服って、好きな色や形が多くなりますよね。
嫌いな色、似合わない色は、頂いても困りませんか?
ましてや買うなんて……。
同じように、着こなす自信のないアイテムは集めません。
飯野は帽子、キャップ、麦わら帽子(笑)といった被る物は1つもありません。
鏡を見てウンザリするものを集めるなんて、ありえません!
クローゼットの中に、その人の好きな色や着こなす自信のあるものが集まるんですね。
これって、服だけでは無いと思うんです。
好きなもの、自信のあるものに近づいていく。
嫌いなもの、自信のないものを遠ざける。
TVやwebで、嫌いな番組や記事を積極的に見る人はいません。
自然と興味のある、番組、記事を選びます。
テストの選択教科や、問題を選んで解く形式のときに、自信のないものに挑戦する人はいません。
自信があって、自分にプラス(利益)になるものを選びます。
これが逆の人って、いません。
怖いもの見たさで近寄るとしても、それって、スリルですよね。
スリルやヒリヒリした感じが好きで、行くんです。
3食嫌いな食べ物を好んで食べる。
自信のない趣味を自主的に始める。
ありえません!
日常的にやっていること、あなたの得意ではありませんか?
日常的に持っているもの、あなたの好きではありませんか?
先日ある方に、いつも統一感のあるファッションですね?
と声をかけたら、上から下まで(靴も)同じ服で、黒のものを6着以上持っていると驚きの答えが。
お気に入りを集めて着回すそうです。
「色違いを買うことはあっても、同じ色をそこまで集めたことはありません。
スゴいこだわりですね。」
なんて、感心してしまいました。
前回は、「好きと自信に集まる」ということで書いてみました。
この方ほどではなくても、だれでも集まっていくものだと思うんです。
ですが、「そうは思わない人」もいるかもしれません。
いまの仕事は好きじゃない。
いまの仕事は自信がない。
家事は好きじゃない。
家事は自信がない。
だから、そうは思わない。
そうですね、では、そのために1つ書いてみましょう。
私達は嫌いなもの、自信のないものにことばを与えます。
苦手とか、向いていない、などです。
そうすると、遠ざけます。
営業はできない、だから応募しない。
デスクワークなんてじっとしていられない、だから嫌だ。
回避行動をとって、その職種を選ばないとなります。
よって、ある人は営業はダメ、ある人は事務なんてとてもとても、となります。
遠ざかっていれば安全です。
ところが、世の中には人事異動とか、あるそうです。
やってみたら、営業じゃないか!とか、フラットだったのに嫌いになった、自信なくなった、そういうこともありますよね。
目を背けたくなると、苦手と感じて、行きたくなくなったりします。
腰が引けてくるんです。
そうすると、ボールにバットは当たらないし、バランスを失って一歩目がでなくなってしまう。
悪いパターンですね。
…
……
では、どうしましょうか?
もっと具体的にしてみましょう。
といっても失敗を具体的にする必要はありませんので安心してください。
それは、要素に分けてみるのです。
表にしてもいいし、箇条書きでもOKです。
そして、評価なり採点なりしてみるのです。
営業だったらこんな感じでしょうか?
・新規開拓
・既存顧客維持
・プレゼン、商談
・資料作成、見積もり作成
・社内コミュニケーション(報連相)
・社外コミュニケーション(電話、メール、話題づくり、接待)
・商品理解(周辺法律やスキル、必要資格等)
・請求、集金
一口に営業と言っても、その中身はそれぞれ違います。
また、新規がメインだったり、内容のいくつかは別部署だったりするかもしれませんね。
( )内の電話やメールは別項目かもしれません。
電話が苦手なのでメールで、メールが苦手なので電話、そういう方もいます。
こうやって上げてみると、全部イヤ、ダメ、そういう人はいないと思います。
(もしそうなら、無理なことにしがみついているのでは?)
「あ、結構できてること多いな」って人がほとんどです。
まず、そう思えればホッとして、落ち着くことができます。
これは大きなメリットです。
あわてたり、あっぷあっぷしているときに深呼吸するように……。
それで、落ち着いて考えると
・あの上司が絡むとイヤなんだ
・初めて会うのは苦手だ
・書類作成で引っ掛かってる
・etc.
わかりやすくなります。
わかりやすくなると、もう半分は解決です。
対策が取れますから。
上司に会うのがイヤだとすれば、メールや書面で報告できないか?
逆に上司のコミュニケーションを研究して逆手に取れないか?
初めて会うことが苦手なら、同僚に頼んでみる。
「2人で行くと相手も軽く扱わないから、日を合わせて開拓しないか?」
書類作成で引っ掛かるなら、同僚が苦手な別業務で交換できないか掛け合う。
他には、過去の資料を少し変えて出せないか?
事務方に貢物という名のお菓子を持って行くことも重要かもしれません。
…
……
漠然とした大きなもの、なんかイヤだなー、自信がない。
そういったことはそのままでは扱いにくいので、交通整理をしてみるのです。
信号が無かったり、歩道や車道が一緒だったり、左側なのに対向車が来たりしたら、怖くて動けません。
だから、分けてみます。
そのために、書いて、書いたものを見てみます。
すると、信号がついたり、交通ルールができてきたりするのです。
きっと、良い方に変化がありますよ。
最後に、仕事の書類ではありませんので、もれなくダブりなくといった細かいことは気にする必要はありません。
できてることがダブって書いてあったら、楽しいですしね。
要素に分けることがむずかしい場合は、1日の行動でもイイですね。
・通勤
・朝礼
・メールチェック
・発注&詳細確認
・社内会議書類作成
・ランチ休憩
??????????
・退社
朝礼の声出しや発表が苦手
お昼にお局さまと離れて気分転換できれば、なんとかなるかもしれません?
みなさんがアルバイトや社員として新しい職場に入ると、教育担当の方が仕事を教えてくれますよね。
いきなり浮き輪1つで海に投げ出すように、採用したら「じゃ、あとはヨロシク!」ということはありません。
機械の操作や掃除の仕方、時間になったらすること。
書類の作り方、ルールやマナーといった、やることを指示してくれます。
はじめは嬉しい丁寧な指導、1年も続いたらどうなるでしょうか?
指示以外のやりたいことやアイデアとはできず、与えられたことだけ……
「ちゃんと」とか「しっかりやりたい」と思う人ほど、思うようにならない怒り、失望したガッカリ感、信用されていないショック、自分はダメな奴という落ち込み、こういったことを感じるでしょう。
では、みなさんが保護者だったり、仮に生徒の指導者だとします。
中高生に、箸の上げ下ろしから着替えから、勉強運動まで、指示以外の事はしないように指導したらどうなるでしょうか?
怒りから反発しますよね。
それをビビッと電気ショックでも与えて言うことを聞かせる。
できたときは報酬を与える。
あきらめて従う。
どちらも極端な例ですが、このようにしたら「自分でできる」「自分で選べる」といった感覚を持つことはできないでしょう。
いまの環境に圧倒される、遠くへ逃げたくなる。
そういったキツいときに、「9、苦手やイヤだと付き合うならば?ハンドルを持って運転しよう?」のように要素に分けてみるのです。
箇条書きにしたり、表にしたりといったように、自分の外に書いたり置いたりできる。
ということは、もうすでに小さな一歩を踏み出すことができている、ということなんですね。
それは、苦手だな、イヤだな、そういったことに「持ち手」や、「ハンドル」をつけたりすることなんです。
そうすると、自分で少しづつ運んだり、コントロールしたりとできるようになリます。
カナダの心理学者、バンデューラは「自分の能力を信じ、行動を起こす力」を自己効力感とよんでいます。
まず、整理し手をつけることができている、そういう実感が解決のその一歩ではないでしょうか。
もし、そういった整理することがむずかしい場合は、信頼できる人に相談したり、時間を掛けたり、逃げる、離れるといったことが必要になるでしょう。
自信を失ったとき、自分が揺らいでいるとき。
「自分に何ができるんだろう」
こういった「自分探し的な問い」に答えることは難しい。
漠然とした何かには答えが見つかりにくい。
〇〇ができる、となっても、(でも、できないかも?)という、( )の中が浮かびやすい。
だから、2重の意味で難しくなってしまう。
どうしたらいいのだろうか?
…
……
そんなときは、過去に積み重ねてみる。
過去のできたことは、完了しているので成功として終わっていること。
できないかも?という否定的な想像の入るスキマがない。
過去の楽しかったこと、比べてみると共通点が発見しやすい。
楽しいことを重ねていくと、趣味になる。
楽しい人、自分を傷つけない人といると、友達になる。
過去に「おおっ」と驚いたこと、それはそのとき、必要だけど自分で気づいていなかったことを与えられた瞬間かもしれない。
ホームランを見たときの、驚きやスタンドの歓声が、夢を作る。
本を読んで感動したとき、そのストーリーを届けられることに、あこがれをいだく。
そのストーリーに震えたり、光を見たりして、そうなりたいと思う。
映画のヒーローやヒロインにあこがれるのは、それを求める自分のどこかがあるから。
できた過去、楽しいこと、受けた衝撃。
そこに積み重ねると、イメージしやすい。
…
自分探しの旅に出る前に……
先日、遺跡を訪れました。
現代の遺跡、川原湯温泉駅です。
手前の鉄橋が吾妻線の川原湯温泉駅から200mくらいのところにある橋です。
新しい駅が別の場所に完成して、2014年9月に、役割を終えました。
その上の大きな橋が、2014年10月に開通した道路、八ッ場大橋です。
工事中は、ダムの上を通る橋なので、湖面1号橋という名前でした。
ダムそのものの完成は2020年の予定とのこと。
この場所も立ち入りできなくなるのでしょうね。
古い駅、線路に新しい道路、10年の後にはダムの底になる土地、変わる環境。
…
……
私たちの環境も変わっていきます。
幼稚園や保育園。
小学校。
中学校。
高校。
大学や就職
住んでいる地域も変わったり、クラブや部活、趣味も変わったりします。
私達の人間関係も変わっていきます。
ずーっと付き合いのある人。
亡くなる人。
新しい家族や生れる命。
すれ違った人。
あの時お世話になった人。
そこに、時間の流れがあるから……
苦しいときに、親身になってアドバイスをくれたあの人。
最近どうも上手くいかない。
それは仕方のない事でもあります。
あなたが上手くいっているときに、「ああしたほうが良い、こうした方が良い」
そう言われても抵抗を感じます。
苦しいあの時にときにかみ合っていた関係が、良い状態のいまもかみ合うとは限らない。
いつも仲良しの〇〇さん。
どうしてこんな大変なときに頼りにならないのだろう(怒)
それも仕方のない事。
いつものあなたと仲良し。
苦しい、大変だ、というときのあなたの求めることを、理解してくれるかはわからない。
良いときも悪いときもあります。
私自身も変わっていきます。
私の環境も変わっていきます。
まわりの人も変わります。
まわりの人の環境も変わっていきます。
変わらない尊さもあります。
変わっていくから、ホッとする良さもあるのです。