思い出すのがつらい出来事がありますか。
大好きな彼と別れたこと。
もう会えなくなってしまったあの人のこと。
幼なじみの裏切り......
悲しみという感情を体験したいと思えることはなかなかありません。
だからわたしたちは、一生懸命それを感じたくないと抵抗します。
忘れよう。
思い出さないようにしよう。
でも、悲しみから逃れようとすればするほど、
悲しみは、まるで、「忘れないで」というように、
逃れようとするわたしたちを追ってきます。
深い心の泉に静かに沈んでいくように、
悲しみは心の深い部分に刻まれていくのです。
そして、わたしたちは長い間その心の重い痛みを持ち続けることになります。
感情は、感じきったとき、そのエネルギーがなくなります。
喜びが持続することがないように、
悲しみも、怒りも、永遠に持続することはありません。
薪がやがて燃え尽きるように、
感情のエネルギーもまた、変容するものです。
ただ、燃やし尽くさないで、炎を消してしまったら、
薪が燃え尽きることなく、くすぶり続けるように、
感情もくすぶり続けてしまうのです。
悲しみや寂しさなどのつらい感情を感じることは難しいですね。
ですが、喜びなどのポジティブな感情は、感じることは簡単かもしれません。
わたしたちは、喜びの体験がないまま、悲しみの体験をすることはありえません。
「うれしかった」「幸せだった」体験があったからこそ、
それを失ったとき、悲しみを感じるのです。
わたしたちは、失ったと感じて悲しみを感じるわけですが、
それは、「幸せな思い出」をいとおしむ感情ともいえます。
また、わたしたちは、あたりまえのことに喜びを感じることはありません。
「ない」という体験があるからこそ、「ある」という喜びを感じることができるのです。
喜びと悲しみはコインの裏表。
コインの価値には、なんのかわりもありません。
だから今日は、あなたがもし深い悲しみの淵にいたとしたなら、
悲しみの奥にある、本当の喜びの存在に目を向けてみましょう。
あなたが悲しんでいるとき、
あなたは、楽しかったという思い出を、追体験しています。
あなたは、悲しみという苦しみを味わっているのではなく、
ほんとうは、喜びを体験しているのです。
さあ、おそれずに、悲しみを感じきってみましょう。
たしかにあった、愛の記憶を体験できるだけなのですから。