これ、めちゃくちゃ多いんじゃないかな?と思います。
誰かと接する時、毎回相談をしている自分を客観的に見てみると…会話のネタが相談になっていて、
になっていました…。
自分で考えて決められなかった時の自分を思い出すと、そうだったなぁと思います。
ある時に、
「なんか理沙って、ずっと相談ばっかりしてない?」
と言われてハッとしました。
たしかに…
友達と会っても悩んでる話をしている。
親にも悩みを話してる。(愚痴の方が多かったかな)
異性にも悩みを聞いてもらう。
誰と会っても悩みばかり。
当時の自分には好きなものをなく、とことんハマる趣味もなく、目標や夢もないし、、、、やりたい職業もなかった…。
楽しい事もあまりないような、
普通の自分が嫌で、
話題がなかったのかもしれません。
(今思えば普通の日常に幸せや豊かさは有るんですけどね。これはまた今度。)
話す内容が相談するしかなかったのかなぁー?
前職の引きこもり不登校ニートの自立支援施設にいた時に接した、専門学校の不登校になって引きこもりになった女子が全く同じでした。
客観的に見えるようになった時…
これって
とわかったと同時に別の説も浮上しました。
相談することがあるイコール🟰悩むことがある🟰頑張っている私を見てほしい・聞いて欲しい。
そんな自分の相談に乗ってもらい答えてもらう事が、相手から大切にされていたり、愛されているということにも通じてるように思っている…
のだと思いました。
私自身を思い出すと
悩んでるんだよ私。今の私で別に満足してないんだからね
と、誰にも何も言われてないのに相談する事で何かをアピールしていたようにも思います。
コミュニケーションというのは相談じゃない…
相談はコミニケーションじゃない…
コミュニケーションは、相談しなくても日常の会話でもできる
と思うだけで、これからの会話の内容が変わってくるかもしれませんね^ ^
誰かへの相談が多い方は、自分の会話を思い出してみてください。
少しでも誰かの悩みが解決につながりスッキリしたり、モヤモヤが晴れていきますように。
私のコラムでは、自分を好きになって、自分を大切にすることができるためのことを書いていきます。過去コラムも読んでみてくださいね^ ^
ちなみに、例の専門不登校女子ちゃんは最近は仕事をしたり資格を取ったりしていて頑張り屋さん。悩んでるのを人に言わずに踏ん張っていた様子を知りました。
我慢し過ぎず心が潰れる前に誰かに呟けよーと思う私がいた。
(頑張り屋さんの相談は、なんだか本音が聞けたようで嬉しいものです。)
みんな頑張ってる。無理しないで、生きてるだけでマルだよーと思うのでした。
泰山理沙