人間は起こった出来事を自分なりの解釈で理解します。
同じ出来事でもポジティブな人が解釈すればポジティブな結果に
ネガティブな人が解釈すればネガティブな結果に捉えます。
業務の報告でも 起こった客観的な事実と報告者の意見、主観、解釈をわけてかけと言われるのはこのためです。
皆様 様々な職場で働かれている方も多いと思いますので、私の経験をお話しします。
私が入社して、部署に配属された直後のことです。
上司からの指示で資料をまとめる仕事をしました。
自分なりにまとめて上司に提出したところ、恐ろしい顔で睨まれ、上司は何も言わず、その場で資料を修正してしまいました。
会社でトップクラス成績を納めるの上司で、自分に厳しく他人にも厳しい方だと聴いていたこともあり、何も言えず、期待に応えられなかったことに自分の無能力さを責めながら、自席に戻りました。
それ以降、自分の居場所がないような気持ちで過ごすことになったのです。
ところが
「恐ろしい顔で睨まれた」と思っていましたが、普段から常に目つきに厳しさが現れた方だったのです。
私だけを睨んでいた訳ではなかったのです。
他の人と話しをするときも同様の目つきだったのです。
そして、
入社早々の私に、100点満点を期待するはずもありません。
社会の厳しさを教えるため、仕事のレベルを教えるために
もっとコミュニケーションを取ってもっと謙虚に、そしてもっと自分をさらけ出して、「目的として何のための資料なのか」「明確な最終形の具体的イメージ」をできない前提で、もっと食い下がって確認すればよかったのかもしれません。
さて、
「恐ろしい顔で睨まれた」は事実ではありません。私がそのように解釈したのです。
「鋭い眼差しで私を見た」が出来事です。
怖いという感情が、逃げたい、関わりたくないという考えを選択してしまいました。
でも、
いつもそんな目つきなので、これが普通なんだ。平気だ。大丈夫。と解釈してもよいのです。
仕事に対する厳しさを探求している人なんだ。想いが現れている凄い人なんだ。と解釈してもよいのです。
また
「期待に応えられず..」というのも、「こんな事もできないのか」と思われているのではないかと勝手に解釈したのです。
入社早々なのでできないのは当たり前。だから教わろうと解釈してもよいのです。
難しいことを要求されていたのなら、自分が今できることと、将来できるようになった方がよいことに切り分けて考えよう、と解釈してもよいのです。
私がどこまでできて、どこまでできないのかを確認したかったのかも知れません。
他のできる別の先輩に解決方法を聞くという手段もあります。自分一人で全くの独力で業務を完遂することを期待していたわけではないかも知れません。
解釈は自由です。自分で選択できるのです。
出来事は一つ。
その出来事に伴い、わき上がる感情があります。
その感情に対する捉え方(解釈)は、いくつもあるのです。
選択肢が広がると、可能性が広がり、生きやすくなるのです。
起こった出来事は変わりませんが、解釈は変えられます。
あなたが悩んでいることは、あなたの思い込みではないですか?
あなたの思い込みであなたの行動が制限されてませんか?
あなたの可能性や選択肢を広げるお手伝いができれば幸いです。