以前のコラムで、愛=関心と伝えてきました。
つまり愛の反対語は、「無関心」になります。
もう一つが、「恐れ」です。
各自の無関心と恐れが、人と人が争う理由です。
この二つとも、※自他分離の意識から来るものです。
※自他分離…ここでいう自他分離は「一人だけど一人じゃなくて皆が繋がっている」という意味。
詳細はいつかの機会に^^
自分の家族だけは助かりたい。
救われたい。
楽をしたい。
ある意味、人間なら当然の欲です。
しかし、その欲が強すぎて、周りに多大な影響を及ぼす言動はどうなのでしようか…
可哀想な出来事や事件を目撃したとき、何とかしてあげたい気持ちはあるけれど、結局かわいいのは自分。
さらに、自分も不幸になるのではないかという恐れ。
そんな恐れを誰もが潜めています。
※14才の時に集団暴行を受ける私の横を素通りした大人たち…今の私は彼らを恨む気持ちなんて微塵もありません
自分の安全を守る。
そのためには、他者を粗末にしてでも、自分の権利や居場所を確保する。
人は無意識に、「他人を利用する」生きものです。
決して、綺麗事を言うつもりはありません。
私だって、自宅の敷地を荒らされたら嫌です。
「他人を自分のことのように思え」
そんな悟りの境地を今、語るつもりもありません。
人にはそれぞれの事情があります。
だから争うのでしよう。
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ただ私個人は、自分の不安な感情を、無意識に相手へぶつけないようにしたいです。
まず自分自身に関心を向けて、「不必要な恐れ」の感情だけでも、適切に処理して生きます。
そして、もし自分の過ちに気づいたときは、責任のとれる大人でいたいと思います。
自分たちのお城や生活を守るためならば、平気で人を傷つける。決して、頭を下げない…
そういう大人にならないように、私は精進する日々です。
各々がまず、「自分を愛せる」ような道を探って進みます。
つまり、自分の内面に「関心」を抱き、潜んでいる「不必要な恐れ」を、自分自身で適切に処理して生きていくのです。
誰もができる平和運動は、そこからです!
どんな立場の人でも、一人一人がそれをやらない限り…悲惨な争いは起こり続けるでしょう。
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