「あるがまま」と「わがまま」の違いはなんでしょうか。
「あるがままに生きる」の著者である足立幸子さんは、
「わがままは自分だけがあるがままに生きていて、
あるがままは、相手にもそれをゆるすこと」とおっしゃっていました。
「相手にもゆるす」
簡単であるようで、とても難しいですよね。
わたしたちは、いつも「身を守る」習慣が身についていて、
「されたくないこと」がたくさんありますから。
待たされたくない(だから、遅刻をすべきでない)。
割り込まれたくない(だから、順番を守るべきだ)。
自覚していなくても、わたしたちはたくさんの恐れのなかにいて、
自分を律し、相手にもそれを求めています。
そして、「べき」をたくさん持つことで、結局は自分が傷つき、
自分が疲れてしまいます。
あるがまま、というのは自分という小さな存在の判断ではなく、
宇宙とか、自然の法則といった自分より、もっと大きな秩序にゆだねるということなのかもしれません。
わたしたちが知覚できることはすべて
エゴの幻想なのだと『A Course in MIracles(奇跡のコース)』では教えます。
わたしたちが知覚するものすべてが、恐れの象徴だと。
「正義」に意識が向いたドン・キホーテには、
風車が巨人に見えてしまい、丘の上に立つ静かな風車の姿が見えないように、
わたしたちは、創造された完璧な宇宙の姿をたびたび見失ってしまうものなのです。
あるがまま、そっとしておきませんか。
このままで、完璧な秩序のなかにあるのですから。