「パートナーがいる人ばかり好きになってしまう」とか、
「好きな人にすがりついてしまって、重いといわれる」
というような恋愛のパターンや、
「仕事が続かない」、
「お金に苦労する」
といった人生の傾向のようなものを持つ人は、多いものです。
お母さんが過干渉で、自分の感情を殺して生きることを選択してきた人は、
パートナーがいる人や、暴力をふるったり、自分に無関心なパートナーばかりに
惹かることが多かったりしますし、
お父さんに対するコンプレックスがある人は、仕事で成功しないと言われたりします。
実際にたくさんの方のお話を聞いてきて、
たしかに、そのような関連性があるかもしれない、とわたし自身も思うことがあります。
ですが、何度もお話していますが、
ものごとには、絶対ということはありません。
お父さんにコンプレックスがあったとしても、仕事で成功する人はいますし、
お母さんとの関係がうまくいっていなかったとしても、
パートナーシップがうまくいっている人がいるのも事実です。
それはなぜなのでしょうか。
ひとつのたとえ話をお話しします。
わたしたちは、「過去」という広大な盤に、びっしりとオセロゲームの石をたくさん持っていて、そこでゲームをやっています。
この盤はとても大きいので、そう簡単にゲームは終わりません。
一生かけてわたしたちは、このゲームに取り組むことになっています。
白が、いい成績をとった、ほめられた、成功した、という「ポジティブ」な体験。
黒が、いじめられた、親に愛されなかった、試験に落ちた、といった「ネガティブ」な体験。
そして、「今」という場所から、そのゲームを眺めています。
「過去」の盤の戦況が、おおむね白であれば、「今」は、そこそこ満足で、
安心だと言えるでしょう。
ですが、おおむね黒だとしたら、
「今」はこのゲームに勝てるかどうかハラハラして不安かもしれません。
大人になると、オセロの石もかなりの数になりますから、
その戦況=今の人生の満足度として、受け入れている方も多いかもしれません。
黒が多いので、なんとか、それを白にしようとがんばっている人もいるでしょう。
親に愛されなかったこと、
パートナーと離婚したこと、
仕事をクビになったこと……
いろんなセラピーやヒーリングは、ひとつひとつの黒い石を白に変えていきます。
そして、白の石が増えてくると、しあわせな今を感じることができるようになるでしょう。
一方、こんなことも起こるのです。
たとえば、子どもの頃に親に愛されなくて、ひどい恋愛ばかりしていた。
そして、やっと結婚できたのに、夫に裏切られて離婚した。
そんな「黒」の石ばかりの盤。
それが、「今」すばらしいパートナーに出逢ってしあわせを感じているとしたら、
たぶん、その「黒」石ばかりだったはずの盤は、
「あのことがあったから」と感謝の「白」の石に変わる、という奇跡です。
また、そんなしあわせなパートナーシップがなんらかの形で終わりを迎え、
「今」わたしは、ひどい状態だ、と感じたとしたら、
昨日まで「白」の石ばかりだった盤は、真っ黒になっていることでしょう。
そう、わたしたちは、「今」という場所の状況によって、
盤の石の色を瞬時に変えてしまう力もまた持っているのです。
ですから、本当に、盤の石を白にしたいと思うなら、
「今」をしあわせな状態にすればいいだけです。
「今」がしあわせというメガネをかければ、
過去の盤に置かれた石も、これから置かれる石も、全部「白」に見えます。
「今」が、ふしあわせ、というメガネをかけていれば、
盤に置かれるすべての石が「黒」に見えてしまうのです。
しあわせのメガネをかければ、過去までしあわせになります。
ふしあわせのメガネをかけたなら、すべてがふしあわせになります。
そのメガネこそ、「心」、
つまり、「今のありよう」なのです。
そして、心はそのまんまにしておくと、コロコロ変わります。
だから、いつも、しあわせのメガネをかけているためには、コツがいります。
しあわせのメガネを選び続けること。
神と、ひとつである自分を思い出すこと。
わたしがカウンセリングのベースとしている『奇跡のコース(A Course in Miracles)』では、
それを贖罪(または、あがない)といいます。
また、ひとつひとつのオセロの石を黒から白に変えていくことを、
「つぐない」というのかもしれません。
自分の犯した(と信じている)罪(またはカルマ)をひとつひとつ、
償って、解消していくことで、しあわせになるという方法。
ただ、オセロの石は、現世だけでなく、過去世にまでありますから、無限です。
もし、あなたがオセロの石を裏返していくことに疲れていたら、
「あがない」という考えは役に立つかもしれません。
わたし自身もたくさんのセラピーを受け、たくさんの気づきがありましたし、
自分自身もカウンセリングやヒーリングをしているセラピストでもありますから、
セラピーを否定するつもりは、まったくありません。
わたしたちの人生は、まさに、この広大な盤の上に展開するオセロゲームのようなものです。
白にしたり、黒になったり、また白に変えたりして、
人生を「体験」しているのだなぁとも思います。
でも、石を白にしなければ、しあわせになれない、ということもありません。
つぐなうことでも、カルマを返すことはできますが、
あがなうことで、カルマそのものがなくなります。
神とひとつであるわたしたちには、罪はないからです。