「一度きりの人生」とよくいわれますね。
本当にそうでしょうか。
「人生は一度きり」
たびたび耳にする言葉です。
ずいぶん昔からこの言葉は語り継がれてきましたし、わたしたちはこの言葉に
疑問をもったり深く考えることが少ないような気がします。
一度きりの人生。
ひとつの見方として、今世、生まれて死ぬまでを1単位とするならば、
それは確かに一度きりです。
でも、例えば小麦畑をわたしたちの人生に当てはめるとしたならば、
わたしたちの人生は、小麦畑の1年のようなものなのでしょうか。
生まれて、成長し、老いて、死ぬ。
種をまき、育ち、実り、収穫を迎える。
老いの手前の時期を「実年」と呼ぶこともあるようですが、
わたしたちは、なんとなく人生の実りは一度だけ、
それも死が身近なものになったころだけという思い込みがあるような気がしてなりません。
本当はわたしたちは小麦の一生ではなく、畑そのものなのかもしれないと思うのです。
収穫を終えて、また植える。そして、また収穫のときを迎える。
経験を重ねるたびにコツをつかみ、上手になっていく。
また、歳を重ねるたび要領がよくなって簡単にいくことばかりではなく、
日照り続きで不作のときもあれば、気候がよくて楽に豊かな実りを手にすることがあったりと、
思いがけないことも起こったりもありますよね。
ご相談を聞いていて思うのは、
人は何度も人生をやり直していけるのだということです。
転職を繰り返していた人が、天職にたどり着いてしあわせにやっている人もいるし、
恋愛で散々なひどいことがありながらも、パートナーと幸せに暮らしている人もいるし、
まじめにコツコツ働いてきた人が思い立って放浪に出かけるということもあるし、
同じ人の人生とは思えないような変化は、いくらでも起こるのです。
それは、年齢を重ねれば幸せになるという単純なことではありません。
小麦をまいたら「今世はすばらしい小麦の収穫を待つしかない」のではなくて、
小麦を刈り取ってコスモスを育てたり、バラを育てたり、ジャガイモを植えたりもできる、
そんな気がするのです。
わたし自身を振り返ってみても、同じ人間のひとつの人生とは到底思えない変化がありました。
わたしは子どものころ、いじめられっ子だったときもあるし、
仕事さえできればとがむしゃらにがんばって、報われない境遇に怒っていたときもあります。
親のいうことをまじめに聞く優等生で、親の生きがいだった時期もありました。
(今では「こんなはずではなかった」と親を落胆させるばかりですが……)
また、「死にたくない」って思ったことがないくらい、生きることに意欲がありませんでしたし、
自分の生い立ちをのろっていたときもありました。
今はまったく違う人生を生きています。
「これじゃない」「これじゃない」と刈り取り続けて、ちっとも収穫できないままでしたが、
最近は少しずつ育てたいものを育てられるようになりました。
どんなに苦しくても、自分自身がそれを終えようと思えば、
生きたままでも、その状況から抜け出すことはできます。
わたしも気がついたら、それまでとは違う人生を生きていました。
もしかしたら、また違う人生を生きるかもしれません。
そしてそれが、苦しいとかつらいと感じることもあるかもしれませんが、
それを終わらせることができることを、今のわたしは知っています。
苦しい、つらい生活であっても、今世は我慢して耐え抜くという選択もすばらしいと思います。
起こるべくして起きていることを受け入れて、自分自身をあわせていくということは、
高い精神力を備えているからこそできる尊いことですし、
すべての修行はその境地に達するためにあったりもします。
そして、その現状を受け入れ耐え抜く努力は決して無駄にはなりません。
でも、あなたがもし、他の選択がないと絶望していたとしたなら、
あなたはあなたの現実という今の畑を刈り取って、
また新たに種をまくこともできるということを思い出してほしいのです。
わたしたちは、何度も何度もわたしたちの畑を収穫することができます。
収穫しなくても、刈り取ることができます。
そして何度でも自分が手に入れたいものを手に入れるチャレンジをすることができるのです。
だからうまくやろうと慎重になりすぎないでください。
うまくいかなければ、やり直せばいいのですから。
子どもがいるから離婚できないとあきらめる前に、
離婚しないという選択と同時に、
離婚するという選択もあなたには与えられているということを思い出していてください。
いつか成功するために、最高の成功メソッドを探し求めるのに何年も費やす代わりに、
ひとつひとつチャレンジして収穫を増やしていく方法もあるのだということを忘れないでください。
若い時期には若い時期の、
歳を重ねたときには、その時期の、
収穫の体験があります。
そしてその年ならではの、
その月ならではの、
いいえ、毎日毎日、今この瞬間に、
わたしたちには収穫というギフトが与えられているのですから。
それが、”present”。
あなたが心から、生きていてよかったと喜べる実りをたくさん体験できますように。