今日で、夫が亡くなって3年になります。
目の前に起こる出来事は必然、とわかってはいても、
元気だった夫が帰ったら突然に亡くなっていた、
という体験を受け入れるのは容易ではありませんでした。
夫と結婚したのは、東日本大震災のあとしばらくしてからで、
当時のわたしは、ひとつの願いが叶っても、
次々と生まれる人の欲望が、暴走する原発と重なってみえ、
欲によりそう占いの仕事は、本当は人のためにならないのではないかと思うようになり、
ちょうど仕事が減ってきたこともあって、スピリチュアルな仕事は引退することにしたのでした。
お客さまは素敵な方ばかりで、仕事自体が苦しいと思ったことはまったくありません。
むしろ、彼女たちが心のありようを変え、現実を変えていかれる姿に励まされ、
わたしの方が元気をいただいていました。
わたしは「仕事」と「使命」をよく理解できていなかったのだと思います。
「スピリチュアルな仕事ではなく、普通の仕事」をしようと思ったのです。
結局、「普通の仕事」には縁がなく、
それでも家庭という居場所で落ち着いて暮らせてしあわせでしたが、
今思えば、自分の人生を止めていたようにかんじます。
亡くなる1年くらい前に、夫に
「これからも仲よく旅はしたいけど、離婚してほしいから自立してほしい」
と言われて、離婚する気はありませんでしたが、しかたなく仕事を探し始めました。
「薬剤師の仕事はもうしたくない」という思いがあったからなのだと思いますが、
ようやくみつかった薬局のアルバイトの仕事も今までにはできなかったレベルで
努力したにも関わらず1ヶ月でクビになり、
みっともないとは思いましたが、もう一度お願いして、
引退するまでさせていただいていた会社の占い師の仕事に戻りました。
不思議なことに、担当してくださる方とのやりとりが途中で止まったりして
実際に働きはじめたのは、夫が亡くなる1ヶ月前のことです。
貯金もなく、経済的には夫に依存して暮らしていましたから
来月の家賃を払うためにも、とにかく働かなければなりませんでしたが、
夫を亡くしたショックがあまりにも大きくて
水も喉に通らないくらいでとても働ける状態ではありませんでした。
いろいろあって、葬儀までのあいだ、棺は自宅におくことにしたのですが、
その横で放心状態になっているわたしの耳に、高笑いが聞こえてきたのです。
「偉そうなことを言っても所詮、口だけ」。
わたしはいろんな人から自分の家族を捨ててきたことを非難されたりしていました。
実際にそうなので、私自身はよく思われたいと思ったり弁解したことはありません。
でも、彼はそんなわたしをいつも
「この人はそれ以上の多くの人を助けている」
とかばい、
わたしが仕事をしているときには、音をたてないように気遣ってくれ、
相談が長引けばそっとお茶やおにぎりを差し入れたりと寄り添ってくれました。
わたしがここでくじけたら、彼は無駄死にになる、そう思いました。
彼の眠る棺の横で、わたしは泣きながら、なにごともなかったように電話をとりました。
たぶん、お客さまには気づかれなかったと思います。
いまだに「知らなかった」と言われることも多いくらいです。
「人に言うことは、自分に言っていること」
本当に、その通りで、特にお客さまにお伝えしていたメッセージは、
まさに自分自身に言い聞かせ、自分自身が励まされる言葉でした。
わたしはやはり、もう一度、この仕事をしたかったのだ、と思いました。
今日は私の再スタートの日から、3年です。
その間、コロナがきたり、世の中は、大きく変わりました。
そして、今「新しい生活様式」での新しい時代がはじまろうとしています。
人の意識はまだまだ過去の日常の中にあり、
まだどこか「元に戻れる」という期待感があるようにもかんじますが、
2年の時を経て、わたしたちはこれからの新しい時代は、私たちの思いでつくっていくのだと
気づいているように思います。
これから、人々の思いはますます多様化し、それぞれがそれぞれにふさわしい、
何層にもある現実を生きることになるでしょう。
「決まった運命」を生きるのではなくて、
「未来は、自分の今の思いが創る」と思う人が増え、実際にそうなっていきます。
「決まった運命」ではなく、「自分らしい人生を生きる」。
あなたが、決意したときから、そのようになっていきます。
一緒に、新しい明日を創っていきませんか。
わたしたちの、願うとおりに。
苦しみも、悲しみも、あなたがそれを手放したいと決意したとき、
希望の種というたからものに、かえることができるのです。
※写真は、夫が大好きだったシロクマのいる北極の街に散骨にいったときにかかった虹です