はじめまして。どこに行っても相談される井上です。よろしくね。
今回はコラム第一回ということで、自己紹介をしつつ、生きていること自体を辛くも楽しくもする、自己肯定感について語ろうと思う。
まず、私の呼び名から。
なんでこんな愛称?を付けたのかというと、文字通り、
どこに行っても相談されるからだ。
塾講師時代の元生徒たち、会社員時代の同僚や先輩後輩はもとより、劇場に行けば役者やダンサーに、ライブに行けばアーティストやお客さんに、英会話スクールに行けば講師に、ビジネスセミナーに行けば参加者に……という具合。おかげで英語もある程度話せるようになっちゃった。学生時代偏差値28だったのに(笑)。
なんでこんなことになったか。
おそらく、無意識レベルで私には人の話を聞く態勢が見についてしまっているからだろう。
皆、「なんか話やすい」という。初対面でいきなりディープな相談を話し、感極まって泣き出す子もいる。ではなぜそうなったのかというと。。。
私の相談が始まったのは、小学校低学年からだった。
相談相手は実の母。彼女にとっては夫であり、私にとっては父である男は、言葉の暴力モラハラDV夫だったのだ。
とにかく、怒鳴る、罵倒する、母の親に至るまで貶す。
毎日だ。
ちなみに身体的暴力、言葉の暴力、性的暴力やネグレクト、面前DV(夫婦間のケンカやDVを見せられること)の家庭で育った子供は脳の一部が減少したり肥大して様々な現象が表れるらしいよ。
私は痛覚が鈍く、車にひかれてもあんまり痛くなかった。のちにボクシングをやったときも、あまりにパンチが効かないので、「化け物」と呼ばれたこともある(苦笑)。
父からのあまりの罵倒に、目の前で母親が気絶したのを見たのは、私が7歳のころだった。
あの光景を忘れることは、一生あるまい。
そしてその後、母は私に父の愚痴をこぼすようになった。
私は母を慰め、共感し、父への怒りをあらわにした。
「あの人と離婚したい」と言われたの10歳のとき。
「あいつは俺が殺す」10歳の子供はそう答えていた。
今の自分から客観的に振り返ると、何とも胸の痛む話である。
なにも自分の子供に離婚の話せんでも(苦笑)。
また、10歳で実の親を「殺す」とか。こわ(苦笑)。こわいというか、子供がそんなこと言うの、ものすごく切ないわ……。自分のことだけども(笑)。
メンタルヤングケアラーみたいになってたので、母に必要とされることで、自分の存在意義を見出していた。当然、親から愛されている、という感覚はまるでなかった。
まぁそういうわけで、よく相談はされるのだが、自分の自己肯定感も低く、よく相談相手のネガティブさに引っ張られた。「一緒に死んで」って言われたことも3人の女性からある(笑)。
自己肯定感が低い状態でよく心の内部で起こる現象が、
・誰かに必要とされたい
・誰かの役に立ってない自分には生きている価値がない
と思い込んでしまうことだ。
まんまと私もこうなった。
「必要としてくれる人と出会えれば幸せになれる」
これが間違いだった。
なぜなら、人生の判断基準が他人になってしまうから。
あくまで、自分の人生の主人公は自分。
そして、「他人は変えられない」というのが、カウンセラーの鉄則。
他人は自分が100%求めてるようには、愛してくれない。
私が求めるようには、誰も私を愛してはくれなかった。
その詳細は次回以降で、今回同様カウンセラー目線で解説を付け加えながら語ろう。
あくまで愛されたい、満たされたい、必要とされたいを他人に求めすぎた結果、私は30代後半になるまで、「生きるの辛い」という感覚から離れることができなかった。
では、どうして今の私は「生きるの楽しい」に変われたのか?
それを解説していこう。
あなたも「生きるの辛い」から離れたいのなら、まずやってほしいことがある。
それは、「自分が何を欲しがっているのか?」を探ることである。
人生の判断基準を他人から自分へと変えること。
これが私が「生きるの楽しい」に変わるきっかけをくれたひとつの作業だ。
自分がどうしたいのか?
自分は何を求めているのか?
他人の要求に合わせて自分の形を変えるのではなく、
自分の形をただ知るのだ。
感情に蓋をしてきたあなたは、自分がどういう形をしているのかもわからず、
ただ他人に合わせて外側の鎧を硬くキレイに整えてきた。
しかし、それではあなたが報われない。
自分を大切にするために、自分を知る。
はじめは、暗闇の中で、手の感触だけで輪郭をなぞるような作業になるだろう。
私はあなたの手を取り、カーテンを開け光を差し込み、共にあなたの本当の形を明らかにするお手伝いをしよう。
誰にも愛されなかった男➀ー必要とされないから生きる価値がないと、自分を責めてるあなたへー |
2022/05/14 生活