「恨み」は、他者を傷つける。何より、過去を引きずる有害性が強い。
過去にエネルギーを奪われている人間は、今この瞬間を満足して、精一杯生きる可能性を破壊していく。
「恨み」に支配されると、相手や周りを正しく見れなくなる。
だから、自分自身のため、周りと調和していくためにも、「恨み」の原因を分析すること。
そして、「恨みに支配されない自分作り」が必要になるのだ。
前回のコラムで、『長所と短所の見極め、そのバランス』について触れた。
短所・欠点の一種である恨み。
そんな恨みの感情が強い人は、その欠点を完全に排除できなくても、有用性のあるものに変換していくことは可能である。
同じ恨みでも、「不健康で過度な恨み」ではなく、「適度な恨み」になれば、『周りと共存する力』を高めてくれるのだ。
一つ例をあげよう。
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無気力なAさんは、とあるグループに所属していた。
ところが、何の役割も果たせず、代表者から「役ただず!」と暴言を吐かれてしまった。
Aさんは代表者を恨んだ。
しかし、その出来事をきっかけに、Aさんは奮起して自分が出来ることを必死に考えた。
その後、Aさんはオリジナルのポスターを作成して、グループを発展させたのだ。
それから、Aさんはグループの中で、自分が出来ることを積極的に見つけて、取り組むようになったという。
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人は「恨み」に支配されてしまうと、ネガティブな方向に進んだり、安易な解決策を手に入れようとしたがる。
上記の話、代表者の暴言はたしかに酷いし、Aさんはその出来事を恨んだ。
しかし、Aさんは「恨み」の感情を正しく使った。
「恨み」を、自分自身の点検に使い、向上させるエネルギーへと変換させたのだ。
「恨み」は、過去の感情を再度感じることである。
もう一度感じるという本能・傾向は、神から与えられたもので、人間において重要な役割になり得るのだ。