「知らないことをなくしていくと、怖いことはなくなっていく」
一昨年読んだ本の中に書いてあった大事なこと。「人の悩みのほとんどは他者との比較から来るもの」だそうで、これには確かに思い当たる節が在る。
だったらそこで、僕らはその人のことをどれだけ知っているのだろうか?
そう問われたら、ほとんどの人たちが「そこまでは知らんけど」と答えるかも知れない。
どういしようもなく今が真っ暗になるときは、視野が狭くなってしまっている証拠。
そんな時は僕らの知識が知恵に変わるかどうかの分かれ道で、それをいかに落ち着いて対処できるかにかかっている。とはいうもののそれが簡単に出来たら苦労はしない。
僕らの目の前で起こることは、僕らが見たまま・思ったままにしかならない。良くも悪くも、どれだけの物事を知っているかで状況が変わる。
ただ困ったことにこの国の文化では教育、社会共に「ちゃんと考える」ことは遠ざけられてきたようにも思う。だから意見の交換や素直なコミュニケーションが難しいとされてしまう。
僕自身、10代半ばから20代半ばまでの辛かった時代にそこから抜け出せなかったのも、あらゆる症状で苦しんでいた人を理解できなかったのも、「こんなときどうしたらいい?」と単純に知識が足りなかったからだ。
そこから海外を回り、人の温かさを知り、世界の仕組みやそれらに対して取り組んでいる人の多さを知り、希望を学んだ。日本の常識は世界の非常識。以降もっといろんな人の話を聴きたいと思い、心理カウンセリングも学び、様々な人の必死な話を聴かせてもらった。ついこの前まで生きる希望すら見つけることが出来なかった僕がだ。だから未だに、辛く悩む人のほんの少しの勇気からくる行動の延長に僕らはいる。周りの誰にも言えないのなら周りにいない人と話したらいい。少なくともあなたの話を聴きたい人がここには居る。
ホテルマン時代に厳しい先輩から教えてもらった「聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥」。
知らないことは怖いこと。
ただ、知ってしまえば大概のものは怖くなくなる。
例えば物事のセイフティネットやあらゆる居場所。この社会の仕組み、歴史や前例、その対策などなど。
それに最も大事なのは自分が関わる人の人生を知ること。
これだけで自分の中の見方が変わり、捉え方も、受ける印象までもががらりと変わり、気が付けば目の前は変わるということだ。
誰かに話すことで、自分じゃ思いもよらなかった支店や自分の癖、対策を知り、実行することで、諦めないことも、自分がいかにその選択肢を見れなかったことを「知る」ことになる。
「答える求める人は思考停止に。問いを求める人にとっては行動開始に」
僕の大好きな人からもらった座右の銘。
ただ、この世界には答えなんてない。これを前提にするだけで、いくばくか今日もまた、大きく変わるんじゃないだろうか。
その選択肢を見い出せたことだけで。