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幸せな子どもが育つ「ご機嫌な家庭」のつくり方 自己紹介と妻との馴れ初め
2017/02/26 生活

自己紹介


僕は1980年12月生まれの36歳、妻は3つ年下の33歳て?す。

出会いは2005年、僕か?大学を卒業して3年目の24歳の夏、新卒て?入った会社を2年て?辞めて、 実家に帰り、

「自分の軸」を探し求めて悩んて?いた時期にさかのほ?ります。

「NGOて?働いている人ってと?んな想いて?働いているんた?ろう?」と思って関わり始めた「ヒ?ースホ?ート」に、

妻は大学4年の夏休みを利用して、2週間の船旅に乗る計画をしていました。

僕は、ふ?っちゃけあまり「地球一周の船旅」には興味か?なかったのて?、

「日本人と韓国人か?250 人す?つ乗る2週間のショートクルース?」の存在を知った時に、

「地球一周の船旅より、こっちの方か?面白そう!」と思って、乗船を決めました。

そして、出港10日ほと?前に、高田馬場にあるヒ?ースホ?ートセンターて?開催された「ホ?ランティア・スタッフ・ミーティンク?」て?、

初めて出会いました。

会った当初から、「頭の良さそうなかわいい子た?な」とは思ったのて?すか?、話をしてみたら、 実家か?同し?春日部市内、

しかも、僕の妹と高校か?同級生た?ということか?判明!

そして船旅期間の2週間、2人して「船内新聞作成担当」や「運動会実行委員」を務めたことから、

毎晩、夕食後から翌朝7時頃まて?打ち合わせや新聞作りをしなか?ら過こ?す日々。

船酔いか?ひと?い妻に寄り添ってテ?ッキて?語らって過こ?す時間か?多かったのて?、2人の関係は急接近し、

日本に戻ってしは?らくしてからお付き合いをすることになりました。

そんなこんなて?、出会ったのか?2005年て?した。

日本に戻ってからは、僕は「教師になる!」と決意して、教員免許取得の勉強を開始。

塾て?教える一方て?、学校て?先生方の支援助手や不登校の生徒か?通う相談室の指導員を務めていました。

「子と?もたちか?、よりその子らしさを発揮て?きるような教育をしたい!」と理想に燃えていたのて?すか?、

2008年に、ひと?いうつ病になってしまいました。

「公教育の限界」を感し?、「もっと自由な教育か?いい」と思いなか?らも、

「学校という秩序の 中て?、それをやるのは難しい」と思ってしまったことか?原因た?ったのかなと思いますか?、

土日はほほ?寝たきり、平日は仕事には何とか行くけと?、黒い幕か?かかったような状態て?過こ?すようになりました。

大好きた?った本も全く読めなくなってしまった僕に対して、

「あなた、絶対うつ病た?から、病院に行こう。私も一緒に行くから」と精神科に連れて行ってくれたのか?当時の彼女、今の妻て?した。

そんなこんなて?、うつ病のしんと?い時期を乗り越え、多少体調のよかったある日、

「この病気 か?訴えかけているものは何た?ろう?」とふと思いました。

「教師にはなるなってことた?な」という結論に達し、教師になるのはやめ、「次は何をしようか?」と考えた結果、

僕か?出した答えは、「田舎に行く!」というものて?した。

そして、2009年4月から、新潟の離島・粟島(人口350人の日本て?4番目に小さな村)に「緑のふるさと協力隊」というホ?ランティア事業て?、

派遣されることになりました。

一方、妻(当時は彼女)は埼玉・春日部に置いてけほ?り状態て?、遠距離恋愛をすることとなりました。

しかし、妻は、その1年間て?合計2ヶ月分くらい、粟島に来てくれて、島の人とも馴染んて?、

「2年目も粟島に残る!」と僕か?勝手に決めてしまったのて?、2010年3月に結婚して、

4月から、島て?の新婚生活か?スタートしたのて?した。

「幸せな結婚生活か?始まる」と期待していたのもつかの間。 予想もしなかった、大変な新婚生活か?スタートしたのて?した。

 

 

西畑良俊

 プロコーチ 西畑 良俊

 

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