生まれたての赤ちゃんに羞恥心はありませんね。
裸を見られても恥ずかしがることもないし、
笑いたいときに笑って、気に入らなければ泣いて、
眠たければ眠ってしまう。
周囲に気遣うこともない。
この上ないK・Y(空気を読めない)さんですよね。
この上ないK・Yさんが憎めないのは好奇心に純粋だからでしょう。
好奇心に身を任せて、どんどん行動していく姿は可愛いものです。
大人でも羞恥心よりも、好奇心を前に出して
楽しそうに行動する姿というのは、
可愛いと感じてしまうものですよね。
楽しそうだなと思ったときは、
やってみたいという好奇心が湧いてくるはずです。
やってみたいけど、失敗したらケガをする。
やってみたいけど、それは人に迷惑をかけること。
など考えてみた結果、やってはイケナイと思うことは
理性で抑えるように、学んでいくものです。
でも、失敗してもケガもしなければ、誰にも迷惑にならない、
場合によっては、やってみることで、役に立つかもしれないのに、
出来ないという答えを出してしまうのは、
羞恥心の働きにによるものだと思いませんか?
やってみようと思ったことを、やってみて、失敗してしまい、
周囲の人たちに笑われてしまった。
あんな恥ずかしい思いは、もうしたくない。
という経験は誰にでもあると思います。
それでも、やりたいと思って、
またチャレンジする意志の強い人もいますよね。
自分は、そこまでしてやりたくない。
それは意志の強い人に任せるよ。
と控えてしまうのは、若干の悔しさもあるとは思いますが、
自分の出来ないことを認めるという
理性のひとつと考えてもいいと思います。
控えるというのも、羞恥心の働きではありますが、
誰かが控えることでバランスがとれることもありますので、
必要な場合もあると思います。
必要以上に控えてしまうことを、引っ込み思案と言ったり、
ネガティブと言ったりします。
良い状態とは言えないですよね。
すべては羞恥心の働きが原因なんです。
やってみたいけど、失敗して、周囲に笑われたら恥ずかしい。
30人いるグループの中で真ん中以下の成績になったら恥ずかしい。
30人いる中で20人出来ることが出来なかったら恥ずかしい。
仲間に入りたいけど、断られたら恥ずかしい。
恥ずかしい姿を見られたら恥ずかしい。
など、
羞恥心には必ず外から見た自分という視点から
はじまっているんです。
好奇心が強い人は、外から自分がどう見えているかより、
自分がやりたいことの方が優先されているんですね。
やり続けていけば可能性は大きくなっていくでしょう。
失敗を恐れずに、やり続けることが成功につながる。
という言葉は親から、先生から、言われ続けてきたと思います。
羞恥心が自分の可能性を抑えてしまうんです。
場をわきまえて控えるくらいの羞恥心は必要だと思いますが、
過剰な羞恥心は、出来ることにまで抑え込んで、
自分を制限してしまいます。
羞恥心とは、やってみる前から自分で決めつけてしまう
窮屈な思考の基でもあるんです。
この窮屈な状態は大きなストレスとなって
精神疲労につながり、
精神障害を起こす原因にもなってしまうんです。
やってみる前から失敗を決めつけるような発想が
頭に浮かんでしまったときは、
羞恥心が自分を制限していると思ってみてください。
そして、成功したらどうだろうと考えてみてください。
抑え込んできた好奇心が活発になっていくはずです。
ワクワクする懐かしい気持ちを感じられたら、
あとは、やってみるだけです。
羞恥心より好奇心を前に出せるように心がけていけば、
思考は前向きになり、行動しやすくなっていきます。
好奇心が心の壁を越える梯子になっていきますよ。