私は…
実はずっとずっと
何年も出来ていませんでした。
本当は、
「愛をもらっていたのに、受け取れてなかった」
のです。
親子で、思い通りの愛情をもらえてる場合は
こんな事を考えもしないかもしれませんが、
思ったような形の愛をもらってない場合も
受け取ってないような気になる事が多いですね。
(↑愛着障害とも言ったりする。)
私はこれでした。
母はきっと、私に
彼女の思う愛情(お金を与える事が割とそうだった)を
くれていたと思います。
ですが、
わたし自身は
承認という愛が欲しかった。
そのままで大丈夫。
生きてるだけで大丈夫。
頑張れてなくても、たとえ成果できてなくても大丈夫。
ただただ
存在の承認が欲しかったのだと思います。
同じような想いをしてきた人は多いのではないでしょうか?
何か物や食べ物でいいものをもらう・買ってもらうよりも
何をしていてもしてなくてもマルしてもらえるという、承認が欲しかったと思います。
承認という愛情を欲して、でも思ったものがもらえなくてグレていくことや、引きこもり系になっていくことも多いと思います。
これって、なんでこのような事が起きるのか?
それは以前も、親御さん向けのコラムに書いた事もありますが
親は親で、自分が子供時代に苦労した事を自分の子供に与えようとしてくれます。
そして
自分が子供時代に欲しかった物をわたしたち子供にくれていたりするのです。
だから、
子供自身が欲しいと思っていないもの(愛情)をもらっていたとしても、
やっぱり、
それは確かなに愛情なのです。
親子といえど、血のつながりはあったとしても、私たちは1人1人違う人間。
思っている愛情も違って当たり前です。
この問いも、
もう一度聞いてみると
受け取り方が変わってくるかもしれません。
たしかにそこには親の愛があった。
たしかに親からの愛をもらっていた。
ただ、受け取れてなかっただけ
という事を気づくと心が一気に楽になるかもしれませんね。
それぞれの想い愛が違うということを知ってもらえたらと思います。
私のコラムでは、自分を好きになって、自分を大切にすることができるためのことを書いていきます。過去コラムも読んでみてください^ ^
泰山理沙