私たちの記憶は、10000億以上あるといわれている脳の中の神経細胞(Neuro)のネットワークの複雑な配列の中で無意識の領域に保存されている。
そして、無意識は作られたイメージと、実際に体験した記憶の区別をすることはできない。
なぜそれらを区別することができないかというと、作られたイメージを想起するときと、実際の記憶を想起するとき、どちらも脳の同じ回路が発火するからだ。
作られた記憶がリアルであればあるほど、自分で信じようとする作用が大きければ大きいほど、現実と作られたイメージの境界線は薄れて行く。
実際にそのような事実がなかったとしても、あなたがそれを事実だと思い込むことで、あなたの記憶のなかではそれが事実として処理されて行くのだ。
だから、嫌な記憶だって手放すことができる。
例えば、思い出すだけで嫌な感情が蘇る過去の失敗。
小学校の時にウンコを漏らした...緊張でみんなの前で大失敗...学芸会の大舞台で頭が真っ白に...人生に汚点を残すあの事件。
未だに同窓会に顔が出せない...あれ以来人前で緊張する...人と怖くて話せない...あの出来事の代償は大きい。
そしてそれは鮮明に覚えている、今まさに起こっているかのように....。
なぜなら、その事件はあなたにとっては忘れられない嫌な思い出。
だから、何度も何度も頭の中で繰り返し再現してしまっている。
その度にその事件に関する脳内のニューロンネットワークは強固になり、映像や音もくっきりと鮮明になり、嫌な感情もさらにアップグレードしているのだ。
事実は消せない、しかしそれを記憶しているのはあなたの脳内だ。
あなたや周囲の人が思い出さなくなれば、その事実も消えてしまう。
周囲の人は所詮他人の出来事なので、感情までは動かない、だから記憶も薄らぐのが早い。
その出来事に意味をつけて、それを問題視しているのはあなただ。
あなたの意味づけが変われば、出来事に対するあなたの感情も変わる。
もし、あなたが過去の嫌な記憶を思い出してネガティブな感情の中に生きているとしたら、それには何の意味があるのだろう。
そのコツはそれを思い出す時に、客観的に見る練習をしてみよう。
例えば映画館にあなたが一人ですわっている。
そして、スクリーンでその出来事が映し出されているとイメージしよう。
どうだろう、まだ感情が動くかな?
じゃあ今度は、その映像が映っているスクリーンを感情が動かなくなるまで遠くに持って行こう、そして音も限りなく小さくしてしまったらどうだろう。
感情が動く思い出の多くは、それを自分の目を通して見ていることが多い。
あたかも、今起こっているような臨場感に溢れている。
だから、その思い出を客観的に見る。
すると感情がその出来事と切り離されていくのがわかる。
そして今度はその出来事に楽しい音楽をつけてみたらどうだろう。
そのイメージを固定することで、過去の失敗を「笑えるネタ」に変えることができる。
つまり、記憶に意味をつけているのはあなただ。
それをどうとらえるかもあなた次第。
よくテレビでお笑い芸人が自分の失敗談を堂々と話しているじゃない。
あなたも同じことができる、それはあなたの思い出だから。
その出来事が起こったという事実は変えられない。
しかし、その出来事の意味は変えることができる。
ネガティブな感情を引きずって生きるか、それをポジティブなリソースに置き換えるか、生き方の選択は私たちにある。
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