いまの社会は何かと結果のみを求められますよね。
学校ではテストの点数が良ければ優秀。
会社では月末や検証期間の結果、会社に貢献していれば優秀。
「結果がすべて!それ以外はどうでもいい!」などという乱暴な言葉を言われたことがある
という人も少なくないと思います。
ひと昔前(15年くらい)までは、結果がすべて、などと言う人は「あの人は冷たい」
「あの先生の言うことは聞きたくない」「あの人と一緒に仕事してるとおかしくなる」
などと結果重視の人は最終的に誰にも相手にされなくなっていたと思います。
映画やドラマでも結果重視の冷たい感じの人と、その人に反発する人たちを描いたものが、
たくさんの人から共感されて人気になりますよね。
いつごろからでしょうか?結果重視の人に相対する情熱を持った人が激減してしまったのは。
世の不景気と情熱が覚めていく過程は比例しているのかもしれませんね。
仲間と力を合わせて目標に向かって毎日、丁寧に、ひとつ、ひとつを大事にする。
なにか目標を決めたら諦めないでやり続ける!
結果は後から付いてくる!おてんとうさまは、ちゃんと見てくださっている!
などは、もはや死語になってしまい、
くだらない古い考え方だ!と冷笑する人も多いのではないでしょうか?
結果よりも過程のひとつ、ひとつを大事にするように努力をしていると、
「そんなことはどうでもいい!早く結果を出せ!!」と怒られてしまったり、
合理的な人たちに押しつぶされてしまい、それまでの努力を全否定されてしまうことで、
やる気が減ってしまったり、努力の方向が、結果をとりつくろうことに向いてしまったり、
気が付くと、何に向かって努力しているのかわからない。漠然とした不安が出てきて、
さらに自分の意見が言えなくなってしまうなどの悪循環に陥ってしまうんです。
いつしか本気で何かに取り組むこともできなくなってしまい、
「反発しても損するだけ、怒られない程度の結果を出せばいい。」
「怒られたら、怒られたことだけやればいい。」などと、自分の意思も無くなって、
毎日に流されるようになってしまう。目標も見失ってしまうんです。
結果を生むのは、その途中。目標に向かって努力しているときにこそ、
改善への気付きがあったり、新しい発想が芽生えたり、
目標に対しての起動修正ができるんです。
一生懸命とは、命を懸けて一つに生きるということ。
田畑を耕すことが仕事だったころは一所懸命とも書いて、
一つの所を命を懸けて守るとも読んでいたようですね。
土地を耕して、種を蒔いて、状況を見て、お水と肥料を与えて、実りを待つ。
その過程のひとつ、ひとつに大変さもあり、喜びがあると思います。
実ったものを評価するだけの人よりも、毎日一生懸命働いた人のほうが、
たくさんのことを感じることができるはずですよね。
勉強でもテストで高得点を取る。テストが終わったら忘れる。という勉強よりも、
なんで、そういう答えになるのかを考えて、調べている過程の中でこそ、
考える力や応用力は磨かれていきます。
そういう苦労をして覚えたことは、知識から知恵となって、
いつまでも忘れることはないと思います。
仕事でも、結果に至るまでの過程の中にこそ、
関わる人たちの思いを感じることができるはずです。
関わる人たちの思いを感じることが、需要を感じることにも繋がっていくでしょうから、
新しい商品のアイデアが浮かんだり、効率の良い仕事の取り組み方を思いついたり、
関わる人たちをよく見て知っているからこそ、誰にどの仕事をお願いするのが一番よいかも
すぐにわかると思います。
ひとつ、ひとつを大事にすることで、目標を見失わずに、いまやるべきことが分かって、
取り組むことができる。ひとつ、ひとつに節目を見い出せることで、
途中途中にたくさんの達成感と、喜びを感じることができるんです。
目標を見失わず、ひとつ、ひとつ丁寧に達成していくわけですから、焦りも無く、
やるべきことを明確に進めていけますよね。
結果を急かされても、いま取り組んでいることが明確にわかれば、
できることはできる。できないことはできないと、冷静に答えられるでしょうし、
理由も説明できますよね。
それでも無理難題を押し付けてくるようであれば、自分は適任ではないと、
お断りすることも、ひとつの勇気です。
ひとつ、ひとつ丁寧にしていくことが、不動の信念を生み出し、
自分と周囲の状況を明確に見定めて、
目標に向かって、やるべきことをやるパワーを生み出すことに繋がります。
結果を急がず、途中を楽しんで、充実した毎日を過ごしていきたいですね。